大和但馬屋読書日記

この日記は

2007年03月01日木曜日

[][][][]神様ゲームシリーズ(宮崎柊羽,角川スニーカー文庫)

最近まとめて読んだ訣ではなくて新刊が出るたびに真先に読んでる。一巻の感想を読み返したら微妙なことしか書いてなかつたんで、改めてシリーズの感想を書きたくなつた。

二巻目を読んで、「化けた」と思つたんだな。といふか、一巻の時点で感じた微妙なモヤモヤ感が解消された訣ではないのだが、二巻でも同じだつたことで却つて「ああ、そのモヤモヤ感こそが肝なのだな」と腑に落ちた。単発の話としては「何これ」で終るところが、同じパターンの繰返しならば「さういふ作品」と認められる様になると。こんな例で説明するのも何だが、アニメ版「ギャラクシーエンジェル」のどれか一話分だけ採上げて何か言つても仕方ないのと似た感じか。違ふか。

もう少しちやんとした説明を試みよう。巻ごとに「かのう様」に関係する「ゲーム」が与へられ、主人公である多加良たち生徒会役員が毎度不本意ながらそれを解決するのが本筋で、それとは別に多加良にはかのう様から個人的に与へられた別のゲームが常にタスクとして動いてゐる。そして、巻ごとに新たに与へられるゲームも常に多加良の個人的なゲームと関係してゐるといふのが基本的な物語構造。

一巻の時点ではその二重構造の意味が分らなかつた(なぜ二重構造なのか、それに何の意味があるのか)ためにそれぞれがそれぞれに自分探しをしてゐて、それぞれ勝手に癒されておしまひといふ感想しか抱けなかつたが、少なくとも一方のゲームの存在とルールが既知のものとしてある状況で新たなゲームが積み重ねられる二巻以降では随分読み易くなつたといふことだ。さうなると俄然面白くなつた。たぶん、これからまた一巻を読返したら印象も変るだらう。

現時点で最新の五巻目に至つてはいつもの「多加良のゲーム」「かのうのゲーム」に「生徒会長選」を加へた三重構造にまでなつてゐるが、それできちんと話になつてゐる。まあ、全巻通じて個々のゲームの「落し方」自体に見るべき点はなく、そもそも「ゲーム」とはあくまで話をウェットに転がすための方便にすぎない以上「ゲーム小説」を期待して読んでも肩透しを喰ふだけなのでそこだけは注意。

キャラ描写も磨きがかかつて、特に羽黒が可愛くて仕方が無い。最初は取つてつけた様なキャラだと思つてゐたら三巻・四巻では鬱展開の中心人物にまでなつてしまひ、目が離せなくなつた。

ラノベとして真当に面白く、話もちやんと核心に向つて進んでゐる様でもあるし、今は新刊が楽しみないくつかのシリーズの一つになつてゐる。

2005年10月11日火曜日

[][][][]神様ゲーム カミハダレニイノルベキ(宮崎柊羽,角川スニーカー文庫)

神様ゲーム カミハダレニイノルベキ (角川スニーカー文庫)

神様ゲーム カミハダレニイノルベキ (角川スニーカー文庫)

この手の「神様コメディ」を読むたびに一体その「神様」てのはなんやねんといふ疑念が付きまとふ。

この作品の場合、「創造主的な神様」と「地祇的な神様」の二種類が登場するが、そのことにあまり意味があるやうには思へなかつた。作品に奇妙な二重構造がある割に、それが上手く働いてゐなくて単に流れをややこしくしただけのやうな。尚、表題の「神様ゲーム」を仕掛けたのは前者の「神」で、表紙イラストに描かれてゐるのは後者の「祇」の方。妙にえちい絵だが、内容とはほとんど関係がない。

神様云々はさておいて、個々のエピソードは「自分探し」系。それぞれがそれぞれに自分探しをしてゐて、それぞれ勝手に癒されておしまひ。最後は主人公も「神様」も癒されて万万歳。「ゲーム」が解明かされる過程を楽しみに読めるものではなかつた。そこが残念。

キャラは羽黒が鈴木真仁的に良かつたのだけど如何にも取つて付けた様な位置付けでしかなく、あとがきにある「当初居なかつたキャラ」は絶対にこいつだと思つた。設定といふか、背負つてるものとキャラ造形が全然釣合つてない。でもそこがいい。といふか、全般的にキャラの描き方が上手いのだな。上手いといふか、ヘタウマ?

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