大和但馬屋読書日記

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2005年04月14日木曜日

[][][]司法のしゃべりすぎ(井上薫,新潮新書)

司法のしゃべりすぎ (新潮新書)

司法のしゃべりすぎ (新潮新書)

全ての裁判において、判決文には判決理由を書くことが義務付けられてゐる。現役判事である著者はこの判決理由を「実定法に基づき主文(判決文)を導く法理論的過程」であると定義づけ、判決理由文のうちこの定義に沿ふ部分を「要部」、定義から外れた部分を「蛇足」と判定し、世の判決文の理由欄が如何に蛇足に満ちてゐるかを告発する。

著者が掲げる架空の例を要約すると、こんな話だ。

V氏殺人事件の犯人として起訴されたY氏は、証拠不十分で不起訴処分を受け、釈放されて社会復帰した。その後二十年が経ち、被害者V氏の子X氏がY氏に対し、親を殺したとして損害賠償請求の訴へを起した。Y氏は殺人の事実の否認と、損害賠償の除斥期間の経過を主張した。裁判所は時効の過ぎた殺人事件の有無について三年間も審理を行ひ、最後にある判決を下した。判決文の主文には「損害賠償請求を棄却する」とあり、X氏の全面敗訴となつたが、Y氏はその判決書類を見て仰天した。その理由欄には、「Y氏は二十年前に殺人を犯したが、損害賠償請求の除斥期間が経過してゐるのでこれを棄却する」と書いてあつた。Y氏はこの判決理由を不服として裁判所に控訴を届け出たが、「裁判に全面勝利してゐるのだから、控訴によるY氏の利益が存在しない」としてこれは却下され、Y氏は過去に殺人を犯したといふ濡れ衣を一生背負ふ羽目になり、X氏はY氏が犯人だと認定されたことに満足した。

著者は、この「Y氏は過去に殺人を犯したかどうか」について述べた部分を全て蛇足だと断じる。なぜなら、損害賠償の除斥期間の経過はX氏の訴へが起された時点で明らかな事実なのだから、第一回目の口頭弁論の時にでもこれを理由に請求を棄却できたはずなのだ。なのにその後三年間に渡つて全く不必要な審理が続けられ、はじめから結果の分りきつた判決文の理由を説く欄に被告の名誉を著しく損ふ内容が書かれることになつてしまつた。そして、被告にはこの汚名を雪ぐチャンスは二度と与へられないのだ。

絶対に取り違へてはならない点がある。著者は「Y氏がやつてもゐない殺人をやつたことにされたから」この判決理由が駄目だと言つてゐるのではない。「Y氏が殺人を実際に犯してゐようが犯してゐまいが、それは全く判決には関係がない」と言つてゐる。原告X氏は「いやそれこそが大切な、明らかにしたいことなのだ」といふだらうが、法に照らす限りそんなことは全くない。起訴事実が「損害賠償請求」である限り損害賠償の支払の妥当性だけが争点であり、架空の本件の場合はそもそも損害賠償の条件から外れてゐるのだから、損害の有無すら判定する必要はない、むしろ判定してはならないのである。

こんなのは所詮作り話だと思へど、実はさうでもないらしい。むしろ世の中の判決文の多くにかうした蛇足がみられ、裁判所はしなくても良い審理をし、司法の分を超えた憲法判断をしてマスコミを煽り、国会に新たな立法を仄めかしたりもする。これは重大な違法行為であるが、今まで誰もそれを問題にしてこないばかりか、歓迎されてきた節もあると著者は憤る。蛇足とはすなはち判決理由の要件を満たさない文であり、それが理由欄に書かれる悪しき慣例について今まで誰も疑問に思はなかつたのかと。

本全体が一貫した理論で貫かれてをり、読んでゐて大変小気味がよい。自分を「大人」だと自認するどこかの誰かがこれを読んだら「世の中そんな簡単なもんぢやないよ」と鼻で笑ひさうなものだが、世の中を訣の分らぬものにしてゐるのはつまりさういふ輩なのだ。おつと、これは蛇足かな。

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