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読書ノート

2017-02-23

pp.129-31

伝統が生まれつつあるように思われるが、それはかつての伝統のあり方とは大いに異なっている。それはたえず蘇生される対象であって、所与のものとして受け取られるのではない。(…)

検討や論争にさらされない伝統はもはや存在しないだろう。(…)それによって、それぞれの独自性をよりよく把握することができ(…)不変不動のものとして据え置かれるような状況を抜け出し、アイデンティティの記憶をさまざまな社会プロジェクトに結びつけるという、より大きな能力を獲得することができるのである。

[フェルナン・デュモン『記憶の未来 伝統の解体と再生』伊達聖伸訳 pp.129-31]

  • p.48

ISBN:9784560092323

p.125

デモクラシーとは何よりも、王政支配の遺産に取って代わり、暴君の専制的な継承を糾弾するひとつの(…)伝統であってシステムではない。(…)ひとつの信仰(クロワイヤンス)なのだ。

[フェルナン・デュモン『記憶の未来 伝統の解体と再生』伊達聖伸訳 p.125]


ISBN:9784560092323

p.124

イデオロギーの終焉(…)はあたかも幻想の終焉であるかのように語られているが、実のところは希望の終焉であるかもしれないのだ。市民が共有することができるような計画を持たない社会は、いったい何を私たちにもたらすのだろうか。権力が匿名であろうとなかろうと、そのような社会では歴史を作る主導権を(…)権力の思惑と利権に委ねてしまうことになる。

[フェルナン・デュモン『記憶の未来 伝統の解体と再生』伊達聖伸訳 p.124]


ISBN:9784560092323

pp.123-4

歴史意識と政治意識は連動しており、歴史を記憶することと歴史に参加することは相互関係にある。(…)歴史が結論を控えるのは、歴史が解放をもたらすものだからである。このようにして、歴史は行為へと駆り立てるのである。

[フェルナン・デュモン『記憶の未来 伝統の解体と再生』伊達聖伸訳 pp.123-4]


ISBN:9784560092323

p.113

消滅した文明が慣習の具体例を示していたとするならば、ネーションにおいては伝統がそのような慣習に依拠することはもはやありえないので、伝統の可能性は特殊的なものと普遍的なものの緊張関係に置かれるよりほかない。

[フェルナン・デュモン『記憶の未来 伝統の解体と再生』伊達聖伸訳 p.113]


ISBN:9784560092323

p.112

コミュニケーションが拡張し、多国籍の経済的権力が地歩を固め、さまざまな文化が混ざり合い、いかにも世界の均一化が進みそうなものなのに、実は個別的な文化や限定された政治的圏域の権利*1要求が高まっているということだ。この反対の動きのなかに、社会の産出と、伝統の抵抗という二元性が認められるのではないだろうか。

[フェルナン・デュモン『記憶の未来 伝統の解体と再生』伊達聖伸訳 p.112(傍線=傍点)]

ISBN:9784560092323

p.102

十九世紀のドイツの歴史家たちが、国の統一の前列となる歴史がないかを気にかけていたとき、彼らは細かな物語のなかに伝統を探し求めることに取り組んだのではなかっただろうか。

[フェルナン・デュモン『記憶の未来 伝統の解体と再生』伊達聖伸訳 p.102]

ISBN:9784560092323

pp.100-1

歴史家は、それ*2をある背景とのかかわりにおいて再構成しているのである。(…)この背景とは何だろうか。それはより広範な歴史にして、この場合は語られない歴史ということではないだろうか。さらに言えば、それはより流動的なイメージによって示唆されるところの生成変化そのものではないだろうか。(…)かつてのキリスト教は終末論的な時間に依拠して出来事の実証的な説明をおろそかにしていたが、生成変化はこの終末論的な時間に取って代わるものでもある。古代人とは逆に、私たちはもはや背後世界*3を有していない。いや、むしろ背後世界がいまや歴史そのものになっていると言うべきかもしれない。

[フェルナン・デュモン『記憶の未来 伝統の解体と再生』伊達聖伸訳 pp.100-1(傍線=傍点)]


ISBN:9784560092323

pp.91-2

アステカ人は、長いあいだある伝統を保持していた。それによると、ケツァルコアトルの神*4が髭のある白人の姿で舞い戻ってきたときに、彼らの文明は滅びることになっていた。やってきたのはスペインの征服者だが、一見彼らの伝統に合致していたので、彼らは何もできなかった。アステカ人は、敵の武力にもまして、自分たちの持つ記憶によって打ち負かされたのだ。

[フェルナン・デュモン『記憶の未来 伝統の解体と再生』伊達聖伸訳 pp.91-2]

ISBN:9784560092323

*1:p.87,p.94

*2:「かつて存在した人間の生きざま、ある都市の過去、ある時代など」

*3〔ニーチェに由来する言葉。目に見える現象の背後に理想や真実が存在するという思想を、彼は「背後世界」と呼んで批判した〕

*4〔アステカ神話における農耕と文化の神〕

2017-02-21

pp.79-80

 テレビドラマが視聴者を過去に運ぶことはありえるが、それは過去からの連続性を担保するものというより、時間を断片化するものである。気分転換と記憶は同じものではない。(…)メディアにおいては、ある事件が別の事件を追い払う。そこにおいては、時間は際限なく細切れにされていく。(…)時間の断片化であって、記憶を作り出していくような整理統合とは言いにくい。(…)広告の宣伝が広告の宣伝たりえるのは、かつて必要不可欠だったものを時代遅れにすることによってである。ここにおいて広告とニュースは近づく。どちらも一過性の最新のものに価値を置くからである。

[フェルナン・デュモン『記憶の未来 伝統の解体と再生』伊達聖伸訳 pp.79-80]


ISBN:9784560092323

pp.77-8

文化とは、長い歴史を通して伝えられる遺産である*1と同時に、再び企てるべき計画でもある。ある意味で文化は記憶にほかならない。

[フェルナン・デュモン『記憶の未来 伝統の解体と再生』伊達聖伸訳 pp.77-8]


ISBN:9784560092323

pp.76-7

近代国家の誕生も、伝統的な連帯のあり方の衰退と関係がある。(…)近代国家の台頭と官僚制の発達はほとんど同じと言ってよい。管理の拡大は、生産の増大に対応している。二十世紀、福祉国家は社会生活のあらゆる部門に侵入した。現在、(…)経済の支配力に押されて後退しているが、それは権力の移行を示すものであって、私たちの存在にのしかかる管理の重みが減るということはまず考えられない。この管理はますます不明瞭な形になるだろう。

[フェルナン・デュモン『記憶の未来 伝統の解体と再生』伊達聖伸訳 pp.76-7]

ISBN:9784560092323

*1:p.49

2017-02-08

p.67

ミシュレ*1とフェーヴル*2において、歴史家の仕事というものは二つの連動する要求に基づいている。(…)過去をよみがえらせ、まったき新しさにおいて現在のものにしようとすること(…)不可欠の条件に(…)客観性を担保する批判的知性だけでなく、歴史家の人格をも問題にするということだ。歴史家は、自分が持てる感受性と内的生活のすべてを動員するのである。別の言い方をすれば、歴史家の主観が、歴史的記憶の係留の場所となる。そして、歴史家の主観を通して、歴史の登場人物たちの復権が行われるのである。

(…)歴史家の運命こそが、現代社会と現代文化の変容という非常に広大な文脈における記憶の運命を最もよく照らし出すものだ(…)

[フェルナン・デュモン『記憶の未来 伝統の解体と再生』伊達聖伸訳 p.67]


ISBN:9784560092323

pp.53-4

もちろん、歴史のなかで不動の状態を保った社会など存在しない。(…)しかしながら、ある場所やある時期においては、変化がほとんど感じられなかったり、はるか昔に生じたものだったりしたために、変化は慣習や伝統と一体化して思い出(スヴニール)を残さなかった。もしくは神話や伝説に変換された。これは、変化を思い出から取り除き、慣習と伝統の永続性を守るもうひとつのやり方だ。

(…)慣習は試行錯誤と適応の結果であり、(…)過去からやって来た刻印は残しているが、記憶は持っていない。

 いたるところに入り込んでいるのが慣習だとしたら、伝統はそれとは別のものだ。伝統は慣習の存在理由のようなもので、慣習を説明抜きで正当化する。伝統は儀礼の場を提供し、儀礼は個人や集団を高めて日常生活の外に連れ出す機能を持つ。このように見ると、伝統は伝統なりに、特別な性格の記憶を構成していることがわかる。伝統が過去に訴えるのは、(…)何よりも現在の行為の正当性を過去に求めるためである。とりわけ太古の社会にあっては、この記憶は起源のほうへ、原初の時間へと向けられている。そこでは模範的な振る舞いがなされ、神話がその内容を要約しているとされる。

[フェルナン・デュモン『記憶の未来 伝統の解体と再生』伊達聖伸訳 pp.53-4]


ISBN:9784560092323

p.49

 私はここで、文化という言葉を最も広い意味において使いたい。それは規則(コード)の蓄積であり、また存在と行動の様式集積したものであって、(…)私たちの意識と良心は、この第二の宇宙に包摂され(…)人生や物事の意味を追い求めている。(…)歴史のなかの人間の活動は、(…)生成変化の土台ともなる。それゆえ文化とは、ひとつの継承された遺産である。このように文化は、本質的なところで記憶の問題を提起している。

[フェルナン・デュモン『記憶の未来 伝統の解体と再生』伊達聖伸訳 p.49]


ISBN:9784560092323

*1:ジュール・ミシュレ

*2:リュシアン・フェーヴル