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読書ノート

2014-02-13

p.218#b

過去の、しかも異国のモア研究などに専念すれば、あるいは学会からも一定の評価をえられたかもしれません。奇妙なことですが、自国、将来のユートピアに情熱をこめて語ったりすれば、アカデミーの世界では顰蹙を買うだけでしょう。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.218]

ISBN:4409040499

p.217

「囻」は、枠の中央に民を据えます。この字が、七百年以上も前から使われていたのは素晴らしいことだと思いませんか。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.217]
  • p.126

ISBN:4409040499

p.213

そう、夢想でよいのです。現代の、恐ろしいほど合理化され尽くした社会と生活の中で、人間の素朴さは夢としてのみ残っているからです。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.213]


ISBN:4409040499

p.209

フランスの核実験が、なぜ太平洋の真ん中のムルロアなのかを指摘する声はほとんどありませんでした。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.209]

ISBN:4409040499

pp.207-8

国際金融取引を国の基本に据えたり、あるいは観光、ひいてはギャンブルで成り立っている(…)それらの国は(…)容易に大国の意向によって左右されざるをえない

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」pp.207-8]

ISBN:4409040499

p.207

二十一世紀の日本国は困難な問題に直面するでしょう。アメリカのようになれる筈はないのに、なにかにつけてアメリカ・モデルの追求は、やがて自己解体をもたらすでしょう。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.207]


ISBN:4409040499

p.201

 二十世紀後半、日本国は自前の農業を組織的、計画的に消滅させてきました。もし農業はいらないというこの政策が、バイオと遺伝子工学を発展させるための計画的措置だったとしたら、経済面では相当長期的な国家戦略を持っていたことになります。その代わり日本国民は手作りの農産物は諦め、工業製品としての食料に依存せざるをえません。あのつくば万博が未来図に描いていたように

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.201]


ISBN:4409040499

pp.200-1

アメリカが強いのは、(…)その背後に明確な国家戦略があるからです。日本国にはそれがありません。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」pp.200-1]

ISBN:4409040499

p.199#b

詩集の編纂が最大の国家事業になる雅びな国など、かつて世界のどこにもありませんでした。これからはあっても良いではありませんか。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.199]


ISBN:4409040499

p.197

大国はあまりに多様な利害関係を包みこんで、一種の利益集合体になってしまい(…)当面の利害と関係ない歴史への配慮は後回しとなります。例を挙げよといわれれば、経済大国をめざした戦後日本を指摘すれば十分でしょう。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.197]

ISBN:4409040499

pp.196-7

アイヌ共和国や沖縄独立論(…)一九四七年春、GHQが冷戦下の対ソ戦略の観点から北海道のアイヌ代表に独立を打診しています。(…)

 その他、敗戦直後には地域によっては日本からの分離独立構想が語られた例(例えば伊豆大島共和国と暫定憲法草案など)もあったようです。また九〇年代に入ると地方分権や道州制導入の声が高まる一方、それが掛け声倒れになるだろうとの予測の下に独立論(例えば「独立九州の会」など)もいわれています。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」pp.196-7]


ISBN:4409040499

p.195

日本が日米安保条約を適用すべき〝周辺事態〟として想定しているのも、正に大国の解体、小国化の傾向が顕在化した際の事態のことです。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.195]

ISBN:4409040499

pp.194-5

アメリカにも、(…)中国にも到底世界を統べてゆくだけの器量、力量がない(…)大国の持つ求心力は、いつしか遠心力に変わり(…)自国自身の始末に腐心、忙殺されることになるでしょう。近代の終焉が近づくと共に、大国の時代も終りに向かうからです。

(…)二十一世紀にはEUも含めて、いかなる大国もこの傾向から生ずる難問に無縁ではあり得ないでしょう。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」pp.194-5]

ISBN:4409040499

p.193

国連を旗印に担いだアメリカが、政治・経済・文化・軍事その他、あらゆる分野で覇権を確立して事実上の世界帝国となる事態(…)ニコライ・ベルジャーエフのいう「新しい中世

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.193]

ISBN:4409040499

pp.188-9

日本では、インターネットポルノで金を取っているサイトが約三千、その内四割が児童ポルノといわれています。

(…)対策は(…)国際的規制の次元に移されますが、それを担当する国際刑事警察機構(…)の当事者が「インターネットによるポルノは、家庭で作り世界へ広げる『世界的な家内工業』になってしまった」とその無力感を告白しているほどです(一九九八年十二月十八日、日本経済新聞夕刊)

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」pp.188-9]

ISBN:4409040499

pp.187-8

アメリカでは一九九六年に(…)十三インチ以上のテレビにVチップの内蔵を義務づけ(…)

各放送局は番組ごとに暴力やセックス表現の過激度を格づけします。一つは(…)年齢別(…)もう一つはシーン別で、Vは写実的な暴力、FVは非現実的な暴力、Sはあからさまな性描写、Lは下品な言葉、Dは成人向けの会話(…)見せたくない番組にVチップを設定すれば、自動的に画面が消えたり他の番組に切り替わる仕組み(…)

共有できる価値や理想がなに一つないことを前提にした技術的対策(…)簡単にいえば、倫理感の欠如を技術で補おうというものでしょう。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」pp.187-8]


ISBN:4409040499

p.186

フランスでは、インターネットの普及は新しい植民地戦争だという議論さえ出ているほどです。(…)使われる用語のほとんどは英語です。その普及は、(…)同時に(…)「母国語の衰退」を招き、ついには国家の消滅につながるという懸念(フランス、シラク大統領)からです。

 日本人がこの種の問題に関心を示さないのは、日本文化の独自性について自信がある(…)あるいは国家や民族文化の自立・独立などに無関心(…)私はその双方だと思います。そもそも、情報ネットワークに関心がはらわれる最大の理由は、それが営利活動にとって効用があるからでしょう。(…)教育面での普及、拡大はここからの派生物にすぎません。(…)日本人は心の奥底で、あるいは(…)無意識の領域で、営利活動におけるコンピュータ利用など、文化の基本にはなんら影響なしとしてたかを括っているのではないでしょうか。そこには、無意識ながら、鎖国の歴史的体験が根づいているように思われます。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.186]


ISBN:4409040499

pp.184-5

もしある国が主権国家であるなら、少なくも倫理的に好ましくないものは自国への流入を阻止する意思をもたなければなりません。それが(…)企業の利益を害するとして国際的摩擦を生じた場合は、主権の発動としてその面での鎖国を宣言する権利を主張しなければなりません。

(…)鎖国への意思とは国際化、グローバリゼーションの中で自国が倫理的に許容できないものを選択して拒否する意思(…)鎖国への権利とは、その意思を具体化する主権そのものなのです。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」pp.184-5]

ISBN:4409040499

p.184

死刑制度の廃止は、ある国の文化水準を象徴するものとなります。(…)死刑の復活が保元の乱、つまり開国・武家支配の始まろうとしている時と合致しているのも象徴的なことです。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.184]

ISBN:4409040499

pp.182-3

そもそも完璧な鎖国などはどこにもないし、なかった(…)

江戸時代も(…)外国との交流はあり(…)牢獄や城壁のように水も漏らさぬ封鎖ではなかったし、それをめざすものでもありませんでした。それでも、江戸時代を鎖国とみなすことはできます。なぜなら、そこには必要な場合、必要とされる分野で鎖国をするという意思が表明されているからです。その意味で鎖国とは、多分に意思であり、意識であり、精神状況でした。鎖国への意思および権利は、現代において新しい意義を持ってきます。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」pp.182-3]

ISBN:4409040499

p.181

今や世界に、(…)典型的な主権国家が存立しないことは誰の目にも明らか(…)アメリカですら、湾岸戦争では国連の旗印(…)この意味では、もはや完全無欠な主権国家など存在しないのです。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.181]

ISBN:4409040499

2014-02-12

p.175

なにしろ日本国では半世紀以上にわたって兵制とか軍隊については(…)知らない、議論しない、したがって固定観念を固守しているという陳腐さです。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.175]

ISBN:4409040499

p.172

もし国民が、自分の国は護るに値すると思えば国民皆兵は当然のことです。素朴な軍隊とは、一切の差別を超えた国民皆兵の軍なのです。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.172]

ISBN:4409040499

p.162

 どのように理由づけをし、どのように厳格な法規を作ろうとも、基本的に資本主義国家の政治目的は資本主義体制を擁護することにあり(…)線に沿って行われる政治・行政は企業にとって不可欠なものであり、(…)その営利目的に照らして適切なものでなければなりません。この政治とビジネスの利害の一致が、陰に陽に政治・行政の方向を左右しています。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.162]

ISBN:4409040499

p.160

法の制定はもとより、その解釈・運用に至るまで専門家に依存しなければならないのは素朴さを失った近代国家の機能不全を物語る以外のなにものでもありません。

 ある意味で、法と倫理はトレード・オフの関係にあるでしょう。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.160]


ISBN:4409040499

p.158

歴史を踏まえるというのは、(…)過去にはそれに相応しい人物がいたことを想起させてくれる

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.158]


ISBN:4409040499

p.152

専門家の手に渡った憲法はますますタテマエの世界に閉じこめられ、護憲・改憲の専門家同士が延々と議論を戦わせて(…)一般人は、その議論を傍観するだけ(…)素朴さを失った議論は、正に、「議論の高きは、衰世の極みなり」(伊藤仁齋『童子問』)を絵に描いたような状態となり、専門家の議論の陰で失われていったのは憲法が人の心に訴えかける活力・生命力でした。活力とは対立する意見を聞く自制力のことです。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.152]


ISBN:4409040499

p.150

 近代の法は合法と違法、合憲と違憲など二分的思考の上に成立し(…)理屈として、その中間はありません。これが法を裁判官・検事・弁護士という専門家の世界に押しやっています。それは真理と誤謬、合理と不合理、(…)科学の世界と同じ(…)正しいのはいつも専門家なのです。

(…)人間の営む生活と社会は法的二元論で割り切るには余りに複雑であり、(…)どうしても第三の原理として(…)心証とか裁量が必要になります。しかしそれは、またしても裁判官という専門家の専断に委ねられます。こうして法のタテマエを守るということは、近代国家の体裁となり見栄となります。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.150]


ISBN:4409040499

p.149

国の法は、簡素なるをもって良しとする(…)広く、厚く、「地業」が培う倫理的雰囲気を造成できれば、それだけ法体系を簡素化できるでしょう。それこそが素朴への回帰の意義なのです。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.149]


ISBN:4409040499

p.147#b

人が、いかに経済の成長を好ましいと思ったとしても、そこに美を見いだすことはないでしょう。しかし本来の成長にはなんらかの美的満足感も含まれています。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.147]

ISBN:4409040499

p.147#a

現代国家に余りにも乏しく、余りに等閑視されている倫理的雰囲気の醸成(…)固定した徳目・規律・訓戒ではなく、ムード・雰囲気・気分としての倫理への期待

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.147]


ISBN:4409040499

pp.145-6

自由主義の核心は競争にあり(…)他者を圧倒してみずからが優者となることを目指します。他方、社会主義の大本は計画(…)つまり他者を管理操作して計画者の意図どおりに動かす(…)こうして人間を、前者は勝利者としての優者の立場から、後者は計画者としての優者の視点から見る点で意外と両者は接近しているのです。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」pp.145-6]


ISBN:4409040499

p.143#b

現代社会に、もはや農業はないという認識に立つより他はありません。市民農園もアグリビジネスも実は農業ではない。政府の補助金で成り立っている農業も本来の姿とはいえない。農業とは、政府が財政難から補助金をカットすれば荒廃するに任せてもいいようなものではないからです。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.143]

ISBN:4409040499

p.143#a

現代農業は、世界的にも日本国内でも、(…)確固たる基盤の上に立っているとは思えません。食糧不足こそ、貧富の格差を顕在化させるでしょう。それは社会的混乱を招き、ひいては政治闘争に繋がって(…)社会の構造的歪みが、一気に眼に見えるものになる。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.143]

ISBN:4409040499

p.142

 日本で「市民農園整備促進法」が制定されたのは一九九〇年のことで、その第一条にこの法律の目的は「健康的でゆとりのある国民生活の確保を図るとともに、良好な都市環境の形成と農村地域の振興に資する」とうたっています。

(…)一九九四年、農林水産省は市民農園の実情を報告したレポートを発表し(…)全国二〇八の自治体に開設された市民農園の所在地と、それぞれの設置趣旨が載せられています*1。この趣旨を一覧して、頻繁に出てくる一つの言葉(…)「ふれあい」(…)

その間にはしばしば、「健康づくり」、「いきがいの発見」、「レクリエーション」などの言葉が挟まります。(…)人々が市民農園に託した思いはこれらの言葉から明らかです。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.142]

ISBN:4409040499

pp.137-8

環境悪化によって世界的食糧不足に見舞われ(…)飽食の時代は終わるという議論も、(…)人々の期待を一層技術依存的方向へ押しやってしまうでしょう。たとえば、バイオテクノロジーの発達(…)という方向にです。

 日本でこの方向に国民的規模で第一歩を踏み出したのは、一九八五年の〝つくば科学万博〟だったでしょう。(…)科学技術庁が展示した水気栽培による〝トマトの樹〟(…)食料危機の不安も、環境破壊への恐れも、バイオテクノロジーの前に雲散霧消するという見事な科学・技術信仰(…)このトマトの樹には莫大な経費がかかっていて、万博が終わると同時にその生命維持装置がはずされ、(…)枯死する運命にあったのです。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」pp.137-8]

ISBN:4409040499

p.137

豊かな国の援助や、人々の利他心や同情で解決できるものではありません。(…)所詮は他人事として処理することになるからです。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.137]

ISBN:4409040499

*1(農林水産省統計情報部『市民農園の現状と地域の特色を生かした取組実例』)

2014-02-11

p.135

十六世紀の宗教改革以来、世俗の仕事も(…)職業になると説かれました。職業とは、神によってその人に与えられた仕事という意味で、(…)神のため天のため、つまり人間を超えた至高の存在の意志を帯して、万人のために奉仕する仕事のことです。

 この宗教倫理に基づいて、商工業に従事する仕事も職業になりました。(…)世俗の仕事での成功は、その人が神の意志に適った者であることの証し(…)資本主義は、この教えが広まったプロテスタント地域において先ず発達したといわれています。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.135]


ISBN:4409040499

p.131

もし企業活動や商取引を損得だけで割り切れば、コンピュータによる計算が可能(…)ちょうど、戦争が敵味方しかないのと同じ(…)だから、損得だけで押し通す経済活動は戦争に近くなります。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.131]


ISBN:4409040499

p.130

フォード自動車会社社長から抜擢されて国防長官を務めたロバート・マクナマラは〝歩くコンピュータ〟(…)膨大、複雑な戦争業務をコンピュータに載せるための原理は「費用 対 効果比」(“Cost/Effectiveness”)、簡単にいえば敵一人を殺すのに何ドルかかるか、出来るだけ安く、有効に敵を殺すにはどうしたらよいかをコンピュータにはじき出させる考え方でした。おそらくベトナム戦争は、世界で最初のコンピュータ管理の戦争だったでしょう。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.130]


ISBN:4409040499

p.121

春の来ない冬はありません。ただ、今の日本が直面している冬は、人々が夢見ることを忘れては終わることのない冬なのです。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.121]


ISBN:4409040499

pp.117-8

 歴史もまた、親と子の「話さないでもわかる」感応関係*1を除外しては成立しない。(…)親子関係は、各人の歴史観の原点である。この原点を排除した歴史認識の問題は容易に政治化され、主義化されて、党派的、政治的な対立の場となってしまう。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」pp.117-8]


ISBN:4409040499

p.117

歴史は、人の意志的活動によって構成されている。しかし歴史が人意のみで作られていると考えてしまった時、歴史観の問題がかえって人と人との対立、抗争をうみだす元となる。現状ですら思うようにできない人間が、過去は今の好みにあわせて構成できると考えている。

 だが、大きな歴史の流れには必ずや天意・地意というべきもの作用しており、片々たる人の意志が歴史を左右する割合はそれほど大きいものではない。(…)自分の至らなさと、時代が人間に課している制約を認めた上で、より広く、ゆとりとバランスのとれた人間観を基礎として歴史観を再構築する試みにすぎない。

 同じことは、人と人との相互理解にも適用できる。(…)相互理解の一形式にすぎない(…)「話せばわかる」を万能視することは、かえって「話してもわからない」人間関係を析出させてしまう。(…)人と人の心からなる相互理解は、(…)互いの知情意のすべてが働いている。(…)“sympathy”ではなく、“empathy”、孟子の(…)「惻隠」の情である。この時、人と人は「話さないでもわかる」。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.117]


ISBN:4409040499

p.114

コンピュータがチェスの名人を負かしたからといって、その結果に心からの満足を味わった人がどれだけいただろうか。この違和感こそ、コンピュータが既に時代遅れのものとなってしまった証拠である。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.114]


ISBN:4409040499

p.109

 思想とは単なる知識ではないし、本来は人間誰もが保有しているものであろう。それは主義・主張・学説・イデオロギーではなく、ましてや専門家に委ねるべきものではない。思想に専門家はいない。実は、生ける人すべてが直面している問いと、それへの自分なりの答えである。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.109]


ISBN:4409040499

p.108

社会の技術的構成が高まると、あらゆる分野に専門家が発生する。彼らは自分にはすべてが分かっているといった調子で、一般人が疑問を抱く前に問題を指摘し、一般人が答えを探す前に尤もらしい解答を示してみせる。

 このような事情は、人生や世界には、いかに繰り返し問いかけてもなお問いたりないものがあることを隠蔽する作用を果している。なぜなら、いくら問うても答えのないような問いは、そもそも技術的、経済的効率に反するからである。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.108]


ISBN:4409040499

*1:pp.114-5, p.117