Hatena::Groupbook

読書ノート

2013-11-06

p.169

 社会が民主的政体であり続けるためには,家族と国家を仲介する中間的諸関係がどれだけ保たれているかにかかっていると,W・コーンハウザーは『大衆社会の政治』において論述している(…) 地域社会や自発的組織など(…)は個人の自由を守るために(…)全体社会の暴走を食い止める歯止めとなり,また孤立しそうな個人を社会につなぎ止める役割を果たす。 (…)現代社会において最も強力な中間組織は企業集団であるのだが,今日に至るまでその役割を全うするどころか,個人の原子化,孤立化を幇助するに至っていると言わざるをえない。

 立憲制度の伝統のもとで交渉の窓口となる中間集団を育てたイギリスや,当初から解体すべき対抗勢力を持たなかったアメリカなどに比べ,ドイツやイタリア,そしてロシア,さらにフランスなどはそうした中間集団が育たなかったことに,大衆社会の到来とともに緩衝材のない個人がいきなり国家へと向かう構造があったと, コーンハウザーは指摘している。

[根本正一「ホワイトカラーの暴走:企業社会に潜むナチズムとの親和性」『ソシオサイエンス』 Vol.15 p.169]

ISSN:1345-8116

p.169

目的合理性から手段合理性へ――「ナチ体制はどうせ長続きはしない」と自らの都合のいいように言い聞かせてナチ体制を利用しようとしたが,逆に(…)組み込まれてしまった当時のドイツの大資本にこの図式を最もよくみることができる。

[根本正一「ホワイトカラーの暴走:企業社会に潜むナチズムとの親和性」『ソシオサイエンス』 Vol.15 p.169]


ISSN:1345-8116

pp.167-8

3月革命(…)敗戦(…)共和国憲法(…)

「自由主義は(…)ワイマール共和国での憎まれ役であった」[Sontheimer 1968=1976:144]。  当時,目の敵にされた自由主義は古典的自由主義である。(…)政治的には平等な(…)個人の自由の尊重,経済的には功利主義(…)見えざる手の支配する市場のもとで自由な競争(…)だが,(…)ホワイトカラー層(…)に認められた自由は企業内での地位を巡っての自由競争であり,(…)気散じとしての自由だけであった。

(…)社会的公正を指向する現代風のリベラリズム(…)ワイマール憲法はそれを先取りする(…)他者の自由をも尊重するという精神が込められているのだが,原子化された社会関係の中で歪められた自由しか追求できなくなった個人には他者を考慮する余裕はなく,むしろ他者を積極的に排除する精神を強めることになった。

[根本正一「ホワイトカラーの暴走:企業社会に潜むナチズムとの親和性」『ソシオサイエンス』 Vol.15 pp.167-8]


ISSN:1345-8116

p.167

文明批評家のM・ピカート(…)

によれば,(…)人間を業績や効用価値からのみ測る時代には,残虐行為も他の社会的営為と同じくただ量的な結果を競うだけに堕するという(…)「ナチの犯罪は(…)いわば工場の生産物のようなもの」(…)であり,自己の内部の完全な空無のなかで自己の実在を確かめるために対立物としてのユダヤ人を必要としていたと説く

[根本正一「ホワイトカラーの暴走:企業社会に潜むナチズムとの親和性」『ソシオサイエンス』 Vol.15 p.167]


ISSN:1345-8116

p.166#b

「うかつな言動を慎み,他人に心を開かず,計算ずくの協調性を装う態度」「日常生活のアトム化」を生み,「私的なものへの逃避」を促した[ibid.391‐2*1

[根本正一「ホワイトカラーの暴走:企業社会に潜むナチズムとの親和性」『ソシオサイエンス』 Vol.15 p.166]

ISSN:1345-8116

p.166

 そもそもそうした挫折したホワイトカラー層の感情は,ナチ党の指導者層のそれと相通ずるものがある。(…)「自分は才能があるのに,世の中に認められていない」という(…)深いルサンチマン(…)をため込んでいた。

(…)ナチズムに明確な思想の基盤があったわけではなかった(…)自らのルサンチマンを晴らそうと(…)いった考えを権威づけるために,(…)あらゆる思想家の業績を都合よく利用したにすぎない。民族共同体思想や反ユダヤ主義,社会ダーウィン主義――など理論自体としてはナチズムとは別個に出てきたものだが,共同体から排除されるべき敵を想定し,その敵を自分よりも劣ったものとして見下し,生存のために徹底的な抗戦を挑むことにより,自らを擬似的に高めアイデンティティーを保とうとする友敵論にとっては,格好の思想的拠り所となる。

 理念として存在するのは独特の指導者理論だけだった。その支配形態は(…)ホワイトカラー層がこれまでたどってきた企業内での組織原理とほとんど変わるところがない。(…)イデオロギーは無批判にお題目として唱えられるだけで,彼らに対しては(…)具体的な指令としてやってくるだけだった。

[根本正一「ホワイトカラーの暴走:企業社会に潜むナチズムとの親和性」『ソシオサイエンス』 Vol.15 p.166]


ISSN:1345-8116

p.165

ナチは表面上は,少なくともモノ不足と失業から人々を救った。

(…)ナチ体制下は,意外にも(…)アメリカ流のライフスタイルが浸透していった時代(…)

しかし,ホワイトカラー層にとって何よりも魅力だったのは,(…)業績本位で組織の中で昇進できる道が開かれたことだった。(…)

彼らが望んだ競争社会の実現によって恩恵を被ったのはごく一部の層であり,大半の人間は取り残されて失望を味わうことになった。(…)ワイマール共和国に向けた以上の腐敗した官僚的な支配構造が浮かび上が(…)った。

[根本正一「ホワイトカラーの暴走:企業社会に潜むナチズムとの親和性」『ソシオサイエンス』 Vol.15 p.165]


ISSN:1345-8116

pp.162-4

ナチズムの前史としてのドイツのワイマール共和国(…)

当時最大の福祉国家であり,(…)市民個人の自由と平等を体現し(…)20歳以上の男女すべてに選挙権(…)労働三権の承認に支えられ,教育の普及とともに自分に適した仕事を求めて社会の流動化が進むこととなった。(…)

E・フロム(…)1929年(…)アンケート調査(…)最大勢力の社会民主党支持者(…)民主主義共和制を大切に(…)再度の戦争を防ぐために平和主義理念の拡大が必要だと考えていた(…)一方で,国家の実権は資本家や企業,銀行に握られ(…)インフレーションの原因を資本主義や外国に帰する(…)など現状への不満も多く(…)「個人は自分の運命に責任がある」と考える比率も少ない(…)

ナチスが国政選挙において躍進したのはこの調査の翌年のこと(…)

世界恐慌によって実質賃金の大幅な低下(…)福祉国家としてのワイマール共和国自体の経済的な破綻(…)企業社会の持つ負の側面を先鋭化させ,その中で生きるホワイトカラー層の孤立化をますます促した。

(…)ホワイトカラー層にとって民主主義を積極的に擁護する経済的条件はなくなっていた。

(…)S・クラカウアー(…)『サラリーマン(Die Angestellten)』は,そうした(…)ワイマール期のサラリーマン像を描き出している。(…)人員整理を含めた合理化が進み,(…)不安定な立場に置かれたサラリーマンを「精神的に雨露をしのぐ宿を持たない」[Kracauer 1959=1979:1 27]と表現し, 「妄想だとしても,なんらかの地位をえて頭角をあらわそうとする,ブルジョアドイツでひときわ目立つ病が,(…)団結をむずかしくしている,かれらはたがいによりかかりあいながら,同時に離れたがっている」(…)と評している。

[根本正一「ホワイトカラーの暴走:企業社会に潜むナチズムとの親和性」『ソシオサイエンス』 Vol.15 pp.162-4]


ISSN:1345-8116

p.162#b

「民衆が共同体と仕事から疎外されると,かれらは自由に新たな結合をつくりだす。そればかりか,(…)愛着と帰順とを与えてくれる新しい,そしてはるか遠くのより所を求めようとする」[Kornhauser 1959=1961:69]*2 ここに大衆社会がナチズムに転化する基盤があり,(…)日常生活からの関心が遠のくにつれて(…)抽象的な世界観を伴ったデマゴーグに容易に飛びつく可能性が生まれることになる(3)

[根本正一「ホワイトカラーの暴走:企業社会に潜むナチズムとの親和性」『ソシオサイエンス』 Vol.15 p.162]


ISSN:1345-8116

p.162

ホワイトカラー層の孤立した精神構造(…)

労働から疎外されたホワイトカラー層は,(…)余暇の世界へと逃げ込むが,(…)彼らのよるべとなるべき共同体社会ももはや崩壊してしまっている。地域社会や宗教組織,さらに家族からさえも相互扶助や教育の機能が国家へと奪われ,社会と個人との紐帯となる集団の影響力が弱まる中で,個人はますます原子化された社会の中で孤立を深め(…)彼らが最後に行き着く先は消費娯楽である。消費は他人との差別を図る唯一の指標となり,気を紛らすため「(…)とくに空想的なものや馬鹿騒ぎをするものに慰安を求めるようになる」(…)。

[根本正一「ホワイトカラーの暴走:企業社会に潜むナチズムとの親和性」『ソシオサイエンス』 Vol.15 p.162]


ISSN:1345-8116

pp.161-2

 ホワイトカラーの勤労が,歴史上数ある職業と決定的に違うのは,財産や出身がその社会的基盤となっていないことである。(…)

生産手段を持たず,生産物とも切り離され,大資本に依存して生きなければならない点で,工場労働者に近い。(…)

ただ(…)彼らは意識の中では自らと工場労働者を峻別している。自営業者が知恵を絞って最大利潤を追求するように,(…)巨大なヒエラルキーの中で,(…)与えられた権限と経営資源を利用して最大の効果をもたらすよう切磋琢磨する。(…)その業績を上に認めてもらい,それによってさらに権威を伴った地位に就くことが最大の関心事となる。

 こうして職業は神聖なものとなった。それは人間の価値を測る基準が,絶対的なものから,他の人間との相対的な基準に転換した歴史的な現象に他ならない。自分の価値を(…)相対的にしか測れなくなった人間は,その中での自分の位置づけに過敏になるのは否めない。(…)こうした(…)新たな人間関係を作り出した。(…)

「美徳ではなく策略を身につけることに汲々とし(…)能力よりも機敏さ(…)同僚や上役とうまく折り合ってゆくことが大切」(…)
「細かく階層秩序が規定されて,(…)職業を基準とする(…)身分的結束が弱められ,各個人が孤立する結果,集団としての対外的権威が弱体化する」 (C・ライト・ミルス*3 )
(…)

[根本正一「ホワイトカラーの暴走:企業社会に潜むナチズムとの親和性」『ソシオサイエンス』 Vol.15 pp.161-2]


ISSN:1345-8116

p.160#b

ホワイトカラー層の政治意識は一般に「政治的冷淡」[Mills 1951]にあるが,それは自己の階級的な利害が満たされない時に既存の政治への冷笑となって現れることが多い。(…)こうした政治的無関心層が「勝ち馬に乗る」形で雪崩を打ってナチ党へ投票した(…)と考えられよう。

[根本正一「ホワイトカラーの暴走:企業社会に潜むナチズムとの親和性」『ソシオサイエンス』 Vol.15 p.160]

ISSN:1345-8116

p.160

ナチへの急激な傾斜は,中間層が陥った一時的なパニック現象として捉えられる。(…)ヒトラーは政権獲得後すぐに(…)旧中間層の救済政策を打ち出したが,多くの公約は棚上げ(…)新中間層(…)共通の救済策は遂にとられることはなかった。(…)それでもナチに傾斜した

[根本正一「ホワイトカラーの暴走:企業社会に潜むナチズムとの親和性」『ソシオサイエンス』 Vol.15 p.160]

ISSN:1345-8116

p.159#b

ホワイトカラー層は(…)物の生産に携わることなく,人間そのものを相手にし,数字といった抽象を駆使するところに特徴がある。すなわち,企業の巨大化に伴う(…)生産の集中,合理化を推し進め,(…)間接部門が肥大化(…)していくこととなった。

対照的に,小都市/農村部における(…)旧中間層の没落があった。(…)旧中間層は,その政治理念ゆえに大資本の津々浦々への侵略に窮乏を強いられ(…)子弟には(…)荒波を受けなくて済むよう,ホワイトカラーに転身すべく専門的な教育を十分に施し,大都市へと送り出した。

(…)

「中間層テーゼ」はナチの社会的基盤がこの新・旧中間層に依存していることを示している。

[根本正一「ホワイトカラーの暴走:企業社会に潜むナチズムとの親和性」『ソシオサイエンス』 Vol.15 p.159]


ISSN:1345-8116

p.159

ドイツは1890年代後半から資本主義の急速な発展が始まり,工業生産高は第1次世界大戦直前には(…)アメリカに次ぐ第2位に躍進,同じ時期に都市人口が農村人口を上回っている[成瀬 1987:114‐116]。

[根本正一「ホワイトカラーの暴走:企業社会に潜むナチズムとの親和性」『ソシオサイエンス』 Vol.15 p.159]


ISSN:1345-8116

pp.158-9

 確かに(…)ヨーロッパには19世紀以降,反ユダヤを標榜する排斥運動が次第に盛り上がっていたが, (…)101大隊ばかりでなく同じドイツ人が,他の少数民族や障害者など社会的弱者をも虐殺していた事実を考え合わせると,自らの優越性を証明するために機会あらば平気で弱者を切り捨てる,あるいは積極的に抹殺する行動に出る精神構造があるのではないか。

[根本正一「ホワイトカラーの暴走:企業社会に潜むナチズムとの親和性」『ソシオサイエンス』 Vol.15 pp.158-9]


ISSN:1345-8116

*1:「D・ポイカート(…)『ナチス・ドイツ――ある近代の社会史』」(p.165)

*2:「『大衆社会の政治』」

*3:「戦後のアメリカ社会をモデルとした『ホワイト・カラー』の著者」