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読書ノート

2017-02-21

p.136

革命勢力とはつねにもっとも疎外されていない者たちともっとも疎外されている者たちとの暗黙の同盟を含んでいる。

[デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』高祖岩三郎訳 p.136]

ISBN:9784753102518

p.135

真に疎外されていない人間とは、もはや人間でさえない。一〇万年前に生息していたかもしれない、ある種の完璧な猿である。彼らは仲間とも自然とも、今日では想像しえないテレパシーのような方法で繋がっていたとされる。

真の革命とは何らかの方法でそのような存在に回帰する以外ない。

だが面白いのは、一体どうして、このような事象を愛好する者たち*1が、あれほど見事な政治行動を慣行しうるのか?ということである。

[デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』高祖岩三郎訳 p.135]



ISBN:9784753102518

pp.133-4

人種的憎しみを駆り立てるもっとも簡単な方法は、他のグループが快楽を追求する上で採用する方法の奇怪さ、邪悪さを強調することだという――不穏な理論的洞察

[デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』高祖岩三郎訳 pp.133-4]

ISBN:9784753102518

p.131

官僚機構が馬鹿を創造するのではない。官僚機構とはむしろ(力の両義性に対応しえないことからくる)すでに本性的に馬鹿な状況を管理する方法なのである。

(…)虐げられた人びとは、彼らを抑圧する者たちを、彼らが自分たちのことを気にかける以上に気にかけている。だがこのこと自体が構造的暴力の効果でもある。

[デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』高祖岩三郎訳 p.131]


ISBN:9784753102518

p.130

 われわれのほとんどは、彼ら*2の存在を考えずに生きるためだけに、(…)考えることさえあきらめている。(…)ひもじさで倒れそうな女性が、食べ物の山から数メートル離れて立っている。だが、われわれにはそれを取って彼女にあげることができない。なぜなら棍棒を持った男たちが現れ、われわれを打つからである。アナーキストたちは、このことをわれわれに思い起こさせることをよしとする。たとえばデンマークのスクワッター共同体「クリスティーナ」では、クリスマス季に(…)デパートから玩具を盗って路上の子供たちに分配するのである。警官がサンタの小父さんを棍棒で打ち、泣き叫ぶ子供たちから玩具をひったくる情景を万人に味わってもらうためである。

[デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』高祖岩三郎訳 p.130]


ISBN:9784753102518

pp.128-9

ジョナサン・フリードマンのような人類学者は「古代の奴隷は単に資本主義の古い姿であった」と主張しているが、それに対してわれわれが、はるかに難なく主張できるのは「近代的資本主義は単に古い奴隷制の新しい姿である」ということである。つまり今日では、誰かがわれわれを売ったり貸したりする代わりに、われわれが自分たちを貸し出しているのだ。だがそれは根本的に同じ配置関係である。

[デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』高祖岩三郎訳 pp.128-9]


ISBN:9784753102518

p.127

私はかつて「領地的国民国家」が勝ち残った理由は、西洋の支配階級が、このグローバリゼーションの初期段階*3において、中国をモデルにしたからではなかったかと示唆した**。当時、統治の基礎となり、国民文学を創造し、またそのような国民文学によって教育された官僚によって執行される法制度に服従する同一の人口を形成すべきである、という儒教的な考え方こそが、彼らの理想に合致したのである。

[デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』高祖岩三郎訳 p.127]

ISBN:9784753102518

pp.124-5

「反グローバリゼーション運動」の活動家たちが掲げるもっとも一貫した要求事項のひとつが「国境制限の削除」であった(…)この要求は、しばしば「世界市民(global citizenship)」という思想をもって主張されてきた。

[デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』高祖岩三郎訳 pp.124-5]

ISBN:9784753102518

pp.79-80

 テレビドラマが視聴者を過去に運ぶことはありえるが、それは過去からの連続性を担保するものというより、時間を断片化するものである。気分転換と記憶は同じものではない。(…)メディアにおいては、ある事件が別の事件を追い払う。そこにおいては、時間は際限なく細切れにされていく。(…)時間の断片化であって、記憶を作り出していくような整理統合とは言いにくい。(…)広告の宣伝が広告の宣伝たりえるのは、かつて必要不可欠だったものを時代遅れにすることによってである。ここにおいて広告とニュースは近づく。どちらも一過性の最新のものに価値を置くからである。

[フェルナン・デュモン『記憶の未来 伝統の解体と再生』伊達聖伸訳 pp.79-80]


ISBN:9784560092323

pp.77-8

文化とは、長い歴史を通して伝えられる遺産である*4と同時に、再び企てるべき計画でもある。ある意味で文化は記憶にほかならない。

[フェルナン・デュモン『記憶の未来 伝統の解体と再生』伊達聖伸訳 pp.77-8]


ISBN:9784560092323

pp.76-7

近代国家の誕生も、伝統的な連帯のあり方の衰退と関係がある。(…)近代国家の台頭と官僚制の発達はほとんど同じと言ってよい。管理の拡大は、生産の増大に対応している。二十世紀、福祉国家は社会生活のあらゆる部門に侵入した。現在、(…)経済の支配力に押されて後退しているが、それは権力の移行を示すものであって、私たちの存在にのしかかる管理の重みが減るということはまず考えられない。この管理はますます不明瞭な形になるだろう。

[フェルナン・デュモン『記憶の未来 伝統の解体と再生』伊達聖伸訳 pp.76-7]

ISBN:9784560092323

*1:原始主義者(primitivist)

*2:「人を棍棒で打つことを訓練された男たち」(p.129)

*3:「一六―一七世紀」

*4:p.49

2017-02-18

p.114

コンゴの君主制(…)はポルトガルが一五世紀の終わりに最初に現れた時、当時のポルトガルやスペインの君主制ほど儀礼化されていなかった。(…)だが後に王国が内戦で崩壊し、ますます小さく断片化していった時、初めて、統治者が極度に神聖化されていった。手の込んだ儀礼が発明され拘束が倍増していった。そしてついに「王たち」は小さな建築に閉じ込められ、玉座を受け継ぐ折には実際に去勢されるまでになった。その結果、彼らはほとんど統治しなくなっていった。当時にバコンゴのほとんどは実際に自治形態に移行したが、それは奴隷売買に苦悶し、喧騒に満ちた体制となった。

[デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』高祖岩三郎訳 p.114]

ISBN:9784753102518

p.113

過去一五〇年ほどの間、サカラヴァの第一の忠誠の対象は、とうに死んでいる王朝の成員なのである。生きている王族の人びとはほとんど無視されているのに対して、古い王たちの霊廟は、いまだに人びとの幅広い共同作業として再建され飾られている。つまりこれらの作業が、もっぱらサカラヴァの(しるし)なのである。そして死んだ王たちは、通常平民の子孫で老女が任ずる魂の伝達者をとおして、いまだに彼らの意を知らしめている。

 マダガスカルの他の多くの地方においても、誰も死ぬ前に十分な権威を持つことはない。

[デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』高祖岩三郎訳 p.113]

ISBN:9784753102518

pp.108-10

「人種形成性(ethnogenesis)」は、きわめて新しい視点だが、ますますあきらかになりつつあるのは、人類史のほとんどが、絶えざる社会的変遷に特徴づけられてきたということである。何千年もの間、それぞれのグループが時間を超越したかのように先祖の領土に定住してきた、ということなどなく、つねに新しいグループが形成され、古いグループが消滅してきた。われわれが「部族(tribes)」、「国民(nations)」、あるいは「民族(ethic groups)」と考えてきた集合性の多くは、そもそも何らかの共同企画(プロジェクト)をもとにして形成されたものだったのだ。(…)だが時がたつにつれ、ある時点で「企画(プロジェクト)」だったものが、「同一性(アイデンティティ)」となり、「自然」とみなされるようになった。それらは「自明の理」または「共有財産」へと骨化し凝固していく。

(…)

 ここで私にきわめて切実に見えるのは、この「石化(petrification)」が、社会的企画(プロジェクト)にのみ当てはまることではないということである。それは国家自体にも起こりうる。そしてこれこそ、社会的闘争の理論家たちがほとんど注目しない現象なのである。

[デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』高祖岩三郎訳 pp.108-10]


ISBN:9784753102518

pp.104-5

歴史を学んだことのある誰にもお馴染みの事実、つまり支配的特権階級(エリート)は(一夫多妻でもなければ)人口統計的に、自己再生産することは絶対不可能であり、常に新たな血を雇い入れる方途を必要としている、ということ(…)

 ジェンダー関係は、もちろんまさに「血縁関係(kinship)」の編み目をなしている。

[デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』高祖岩三郎訳 pp.104-5]

ISBN:9784753102518

p.103

 ほとんどのアメリカ人は、世界が「人種」によって分断されていると見ている。(…)同じ家系と地理的出自を共有する集団によって分断され(…)そこから起因する体系が、性関係、婚姻、財産相続を統制し、そのことで社会的不平等を創出している。以上のことをアメリカ人は信じているということである。

[デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』高祖岩三郎訳 p.103]

ISBN:9784753102518

p.99

誰に対してであっても、一六―一七世紀のヨーロッパ人のように振舞う可能性があるとみなす方が、はるかに侮辱的だと思われる。

[デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』高祖岩三郎訳 p.99]

ISBN:9784753102518

pp.93-4

権力と支配の特定の形態を拒絶し、それに立ち向かいつつ、社会関係を(その集団の内部からさえ)再構築する、(…)革命的な行動は、必ずしも政府を転覆することを目指す必要はない。権力の目前において*1自律的共同体を創造する試みは、まったく革命的な行動と定義しうるのだ。そして歴史が示しているように、こうした行動の継続的な積み重ねは(ほとんど)すべてを変革してしまうのだ。

[デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』高祖岩三郎訳 pp.93-4]

ISBN:9784753102518

p.90

 (かつて一世を風靡した「発展途上世界」にとってのロシア革命の魅力は、そこではこれら両方の革命*2が起こったかのように見えたことからきていた。つまり国家権力の奪取が、敏速な産業革命に導いたことである。その結果、二〇世紀に勃興したすべての世界南部の政府は、産業力にものを言わせて経済力を勝ち取ろうとしたが、それらは同時に革命的な政権を自認していた。)

[デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』高祖岩三郎訳 p.90]

ISBN:9784753102518

p.88

 そこでわれわれは本来の問題に後戻りしている。われわれが住んでいる世界と「原始的」「部族的」(あるいは「農民的」)とみなされる人びとが住んでいる世界との間には、絶対的断絶があると想定されている。これは人類学者の責任ではない。

われわれは過去十年にもわたり、「原始的」などという状態は存在していないということ、「単純社会」とみなされているものは実際に単純ではないこと、時間から切り離され孤立して存在してきた者などいないこと、ある社会機構がよりんでいたりれていたりすることなどないこと、を説得してきた。だがその成果はほとんどあがっていない。

(…)彼らがまったく別の世界に住んでいると信じられているからである。そして妙なことにそれは、再度、われわれが革命というものを考える時の慣習のせいなのである。

[デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』高祖岩三郎訳 p.88]


ISBN:9784753102518

pp.10-1

キリスト教の伝統は、人間の欲望を、救いようのないものとみなしている。われわれの欲望には限りがないが、世界には限りがあるので、われわれは抜本的な相互戦争状態にある……。だがサーリンズが指摘しているように、これは異例である。さらにキリスト教世界においても、人びとがそのように振舞うようになったのは、ごく最近のことなのである。中世キリスト教世界の職人たちは「目標収入」に(のっと)って仕事をしていた。景気がいい時は、単に休日を多くとった。大変いいときは、年の半分を「聖人の日」にした。つまり資本主義が可能になったのは、世界人口の多くが、病理に犯されたように振る舞いはじめてからのことである。

[デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』高祖岩三郎訳 pp.10-1]


ISBN:9784753102518

p.10

スペインのような国では――あるいは二〇世紀初頭においてはヨーロッパ全体で――(…)社会主義者が労働者のためにより高賃金の獲得を叫んでいたことに対して、アナーキストは労働時間の短縮を求めていた(…)非資本主義的な環境に生きるほとんどの人びとは、経済学者が「目標収入(target incomes)」と呼ぶものを目指して働いている。彼らは市場から何が必要か、それがいつ手に入るかわかっているので、ある時点で仕事をやめ、リラックスし、人生を楽しむことができる。これは経済学者が「非理性的経済行動」とみなす多くの事象の説明ともなる。

[デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』高祖岩三郎訳 p.10]

ISBN:9784753102518

*1:――ここでコルネリュウス・カストリアディスの定義に従うなら、自らをを構成し、規約あるいは行動理論を集合的につくり、継続的にそれらを再検討するような――

*2:産業革命とフランス革命

2017-02-17

pp.78-9

現代社会はこういった「アナーキーな空間」に戸惑っているのだ。成功すればするほど、それらについて耳にすることはなくなる。むしろそのような空間が崩壊し暴力に帰結する場合にのみ、部外者はそれらが存在していたことを知ることになるのだ。

[デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』高祖岩三郎訳 pp.78-9]


ISBN:9784753102518

p.74#b

一般的に言って、社会の中で男性と女性の役割の違いがより際立っていたらそれだけ、非平等性は、より物理的に暴力的なるようだ。

[デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』高祖岩三郎訳 p.74#b]

ISBN:9784753102518

pp.63-4

贈与の経済においても、諸個人を事業化する方途は存在している。だがそこではすべてが、恒常的な富の不平等を生み出す土壌を提供しないように配置されている。(…)アマゾン(や北米先住民)社会においては、酋長(chief)の制度が、政治的な次元で似た役割を担っていた。その位置に就くことは、(…)権力好きな個人がそれを弄んでいい目を見るようにはできていなかった。(…)

それらすべては、きわめて現実的な意味で、アナーキスト社会だったと言えるのである。それらは国家と市場の論理をはっきりと拒絶することに基礎をおいていた。

[デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』高祖岩三郎訳 pp.63-4]

ISBN:9784753102518

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