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読書ノート

2017-10-13

pp.244-5

 ヴェーバーは言う。官僚の本質は、「だれかれの区別をせずに公平・中立、没個性的に事務を処理するところにある。(…)また官僚の真骨頂は、個人的には間違っていると思われる命令であっても、あたかも自分の信念に一致しているかのように、それを執行する能力にある。行政機構の一部品で(…)命令者の責任において行動する(…)官僚とは対照的に、政治家に問われるのは、「責任倫理」である。(…)善に基づいて行動したかではなく、その行動がもたらした結果次第で、個人の責任が問われる。

(…)もし政治家が行政機構の一部品と化すようなら、彼は政治家ではなく官僚になり果てるだろう。

[中野剛志「「脱・官僚支配」指南」『反官反民 中野剛志評論集』pp.244-5]

ISBN:9784864880015

2017-10-11

pp.280-1

 「政治」は、「民主」が次から次へと噴き出す様々な矛盾を乗り越えて、一貫性のある決定を下す営為である。(…)建前上、その政治的決定は、世論の支持を得たものでなければならない(…)

みずからの決定が世論の支持を得られるように、国民を指導したり、説得したりしなければならない。(…)この「民主」と「政治」の矛盾を解消するためのリーダーシップや説得もまた、政治という営為の欠くべからざる要素である。

(…)まさにマックス・ヴェーバーが『職業としての政治』(’19年)において述べたように、(…)「どんなことに直面しようと「それにもかかわらず!」といえる確信のある人間、そういう人間だけが、政治を「天職」とすることができるのである」

[中野剛志「「民主」が滅ぼす「政治」 普天間基地移設問題をめぐって」『反官反民 中野剛志評論集』pp.280-1]


ISBN:9784864880015

2017-10-09

pp.322-3

個人に与えられた自由は、つねに他者の自由を奪いつづけるという、もうひとつの面をもっていた。私たちが、そのことに気づいてこなかっただけである。

(…)ふり返ってみれば、自由を人間固有の権利と宣言した国々が、植民地支配と帝国主義戦争の主要な担い手でもあったのである。

(…)

 ある意味では、(…)現代アメリカの多数派の精神の習慣が、もっとも純粋な近代的自由の姿なのかもしれない。(…)

 このようなさまざまな矛盾がありながらも、これまで私たちが近代的自由のもつ問題点を検討してこなかったのは、自由対全体主義、あるいは自由な社会対自由のない社会という、近代がつくりだした構図のなかに、私たちの精神自体が埋没していたからであろう。

[内山節『自由論——自然と人間のゆらぎの中で』pp.322-3]


ISBN:9784000286787

p.320

今日の思想は、近代思想の動揺と終焉という時代のなかで、新しい自由観を創造する必要性に迫られたのである。

[内山節『自由論——自然と人間のゆらぎの中で』p.320]

ISBN:9784000286787

pp.316-7

近代的自由には、はじめから、ふたつの問題があったのである。ひとつは、理念としての自由が現実のなかでは十分実現しないこと、(…)もうひとつは、この自由が、近代国民国家の(…)国民たる個人の自由として生まれたために、自由が個人の利己主義の手段になってしまうという問題*1であった。(…)

 この矛盾を解決するために、(…)ヨーロッパでは、伝統的な宗教倫理や職人の倫理、共同体の倫理といった、ある意味では近代国家の成立によって否定されたものが、この役割を担った。

 だが、その後の市場経済の発達は、そういった倫理感や道徳感をも解体していくようになる。なぜなら、市場経済は、基本的にそれぞれの利益を求めるエゴイスティックなものとしてつくられていたからである。

 こうして人々は、ただただ自分のために自由を主張するようになった。個人は、自分の都合のよい「自由」だけに関心を示し、自由を自分の安楽を主張する道具にしてしまった。国家は自国の利益のために自由を主張し、人々は人間の自由のために、他者としての自然を無視した。

(…)他者との関係を無視した自由、個人の権利としての自由が、十分な自由たりえるのかという問いを、私たちは発してもよいはずである。

[内山節『自由論——自然と人間のゆらぎの中で』pp.316-7]


ISBN:9784000286787

pp.314-6

 十八世紀から十九世紀にかけて、西ヨーロッパで産業革命が起こった頃、(…)問題にされていたのは、(…)「旧産業」で働く労働者の悲惨さである場合が多かった。その悲惨さは、「旧産業」の経営者たちが、以前と同じような利益をあげようとして、無理な経営をおこなうことによって生じていた。

 経済にかぎらず、多くのシステムは、それが歴史的危機に立たされているにもかかわらず、そのシステムを維持しようとするときに、いろいろな悪い面が顕在化してくるものである。(…)

近代革命がはじまった頃、中世社会のシステムはすでに機能しなくなっていた。にもかかわらず、中世のシステムを維持しようとすれば、さまざまな矛盾が顕在化してくる。(…)

近代的自由は、中世から近代への転換のなかで求められたというより、こわれかけた中世社会のシステムがもたらしていた矛盾を克服する過程で求められたといったほうがよい。つまりそれは、歴史の現実が生みだした要求だったのである。

(…)そして他方には、この動きをも飲みこんでいく国民国家の形成があった。

[内山節『自由論——自然と人間のゆらぎの中で』pp.314-6]


ISBN:9784000286787

pp.308-10

欧米的な知性を一段のものと考える心情と(…)欧米的知性を上位におく知の格差、あるいは知のヒエラルキーがあった。

 それは、近代的自由についての議論を、ゆがめたものにしてしまったように思われる。人間が自由に生きるためには、何を創造すればよいのかよりも、欧米的な知性を身につけること(…)こうして自由は創造されるものではなく、論じられるものになった。自分が、欧米の生んだ近代的知性を身につけている人間であることを示しながら、その意味で自分の「知識人」性を示しながら、(…)自由とは何かを論じることが、自分が「知的エリート」であることを証明することと、結ばれているような感覚が拡がったのである。

 だから、近代的自由についての議論は、他者の無知さを批判する手段にもなった。欧米的知性を理解していない人々、精神の自立をはたせずに本当の自由を知らないでいる人々、あるいは近代的な市民社会を形成しえない社会などを設定し、それらを批判することによって、自己の「知識人」性を肯定する手段になったのである。

 そして、多くの戦後知識人たちが、その頂点に立っていた。そのまわりには、知識人化したさらに多くの人々がいた。このような構造のなかで、いつの間にか自由の問題は知的自己肯定の手段になってしまったのである。

(…)このような知的風土の背後で、(…)お金の力がもたらす「自由」を満喫するようになっていた。(…)

 自由は、二重の意味で頽廃していたのである。

[内山節『自由論——自然と人間のゆらぎの中で』pp.308-10]


ISBN:9784000286787

pp.300-3

 社会のなかにひとつの秩序が生まれると、人々は、自由をめぐる岐路にたたされる。一方ではその秩序のなかに収まることによって、そのなかで居心地のよい自由を得ようとする道があらわれ、他方では、自由を求めて、その秩序の外にでる道があらわれてくる。そのふたつの自由のせめぎあいが、一九六〇年代の日本には、まだあったのである。

 そういう時代も終わり、一九七〇年代以降になると、(…)いろいろな場面で、その秩序を維持しようとする管理が高まり、秩序のなかに収まることは、個人にとっては居心地のよいものではなくなってきた。

 とともに、人間の自由が、与えられた選択肢のもとでの選ぶ自由のようになり、自由は薄っぺらなものになってきた。自由は輝きを失い、日常生活のなかの自己主張程度のものになってしまった。

(…)一面では私たちはサラリーマン化した。また一面では、私たちは、地域とも、社会とも、ときに家族とさえ関係のない精神をもった個人になった。つまり、個人としてのサラリーマンの生き方が、社会の中心に座ったのである。

[内山節『自由論——自然と人間のゆらぎの中で』pp.300-3]

ISBN:9784000286787

pp.296-7

「偉く」なることが、この社会のなかで少し自由に振るまうための手続きだということを、子供たちは知っていた。(…)

それは、神島二郎の述べた「出世民主主義」の社会でもある。「出世」の可能性を開くことによって、個人が「偉く」なることをテコに相対的な自由を得ていく社会(…)

誰もがささやかな自己満足的な自由を手にすることのできる社会(…)

勝者になることによって獲得される個人の自由であり、(…)

他者を必要としない自由、他者との結びつきをもたない個人の自由だったということになる。(…)こうして、エゴイスティックな自由と孤独な自由が、同時にあらわれてきたのである。

[内山節『自由論——自然と人間のゆらぎの中で』pp.296-7]


ISBN:9784000286787

pp.289-95

 戦後の「自由と民主主義」は、アメリカによってもたらされたものだと言う人がいる。だがそれだけであるはずがない。(…)すべてがこわれた時代のなかで、新しいものを創造する人々の自由さや、創造する過程で芽生えた民主主義があったからこそ、「自由と民主主義」も日本のものになることができた。

 その「自由と民主主義」のなかに不十分さがあったとしても、それもまた当然のことであろう。なぜなら理念は、歴史をへてつくられた社会風土と結びついて現実化される以上、どこの国でも理念どおりの「自由と民主主義」など、生まれてはいないからである。当時は、欧米の市民社会を理想視するあまり、欧米の市民社会の影の部分がみえなかっただけである。それが日本の「自由と民主主義」を、不十分で未成熟なものだと強く感じさせた。

(…)

 戦後生まれの私が過ごした戦後体制のもとでは、たとえ十分なものではなかったとしても、自由はすでに制度化されていて、自由は享受するものになっていた。そして、与えられているはずの自由を行使しようとしない人々を前にして、青年たちは苛立っていた。

(…)

 実際、一九六〇年へと向かう数年間に、日本の戦後体制は、あらゆる部門で確立していった。(…)戦後日本というひとつの社会秩序が生みだされていったのである。

(…)その頃の私たちは、科学や技術の進歩や経済の発展と自由の実現とを、重ね合わせてとらえていた。(…)

経済の発展によって生活を再建していくことが、何よりも重要な課題であった。(…)

科学や技術の進歩、経済の発展、合理主義、欧米的知性への憧れなどが一体化した、(…)

このような精神のあり方をみるかぎり、戦後の日本には、保守も革新もなかったといったほうがよい。(…)

共通する精神的土壌をもちながら、その実現のさせ方をめぐって政治的に対立してきたにすぎない。

(…)

 そのとき、自由のとらえ方も、この枠組みのなかに閉じこめられていったのではないだろうか。(…)自由を考える精神のなかに、科学や技術の進歩や経済の発展、欧米的な知性の浸透といったことが、自由の獲得と不可分なかたちで、侵入してくるようになったのである。

[内山節『自由論——自然と人間のゆらぎの中で』pp.289-95]

ISBN:9784000286787

p.289

確かに敗戦は人々を厳しい状況に追い込んだ。しかし、それまでの政治制度も社会制度も価値観もすべてがこわれているなかで、これほど人々が自由に新しいものを創造できた時代も、またなかったのである。

[内山節『自由論——自然と人間のゆらぎの中で』p.289]

ISBN:9784000286787

*1:p.30