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読書ノート

2019-05-10

pp.38-9

 京都が都になる以前、奈良が平城京として都であった時代(…)国家貢納物の種類は、大雑把にいって、日本海側や西日本の地域からは米などの重い貨物が多かったのに対し、東日本の太平洋側は絹や真綿といった軽い貨物が多いのが特徴で(…)都が京都に遷った後、(…)

若狭((…))以外の北陸地方の各国の貢納物は、海路の場合にはそれぞれの国の港から越前の敦賀((…))へ輸送され、そこから琵琶湖の北岸の町である塩津(しおつ)へ陸送され、琵琶湖の水運を利用して大津へ運ばれ、後は陸路で(…)若狭国からの貢納物は、陸路琵琶湖の西岸の勝野津(かちののつ)へ輸送され、そこから琵琶湖水運を利用して大津へ回漕され(…)東日本から運ばれる貢納物は、主として「東山道」(…)を通り、琵琶湖の東の朝妻(あさづま)(現在の米原市)に集められ、そこから大津へ回漕されたものと思われ(…)

琵琶湖においては大津が物資の集散地として重要な役割を果たしていたように見えます。ちなみに、大津は、(…)天智天皇が、(…)大津京として都と定め(…)天武天皇元年(六七二)に(…)廃絶してからは(…)「古津」と地名を変えていましたが、京都が都となったことで、いわばその外港の役割を果たすことになり、再び大津と改称されました。

[徳仁親王『水運史から世界の水へ』pp.38-9]


ISBN:9784140817728