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読書ノート

2017-08-30

pp.213-5

さらに重要なことは、何故自分の存在の時間を切り売りできるのか、という理由そのもののなかにあった。すなわち、時間が各自の固有の時間として成立していなければ、時間を売ること自体が不可能だったのである。

(…)伝統的な山里の時間*1のもとでは、(…)関係とともに時間があり、時間とともに関係がある。そしてそのような時間は、けっして切り売りできないのである。この時間世界のなかに村人は「仕事*2」を成立させた。

 ところが、「稼ぎ*3」の時間は切り売りすることができる。それは各自の固有な時間であり、(…)また時間を切り売りすることによって、私たちは時間を自分の固有のものとして確立していく。

(…)

 一人一人に固有な時間、すなわち個人的な時間の確立と時間の売買の成立は、分けることができないのである。近代人たちは、一方で個人的な時間を確立しながら、その時間とともに成立している自分の存在を維持するために、その個人的な時間をときに売り渡しながら、それを存在のため手段つかう。何という自己撞着であろうか。(…)

 かつてエーリッヒ・フロムは次のように述べていた。

 「資本主義の経済的発展にともなって、(…)近代的な意味の時間観念が発達しはじめた。(…)時間は非常に貴重なものとなり、つまらないことに時間を浪費してはならないと考えるようになった。仕事がますます至上の価値をもつものとなった

(…)「時間が貴重なものに」なったのは、次の二つの理由によるということである。第一に、資本制経済は時間の合理性を基礎とした経済であった。第二に近代人は個人的な時間を所有しており、にもかかわらずその時間を自分が存在するための手段として利用するがゆえに、時間を貴重なものとして理解せざるをえなくなったのである。

[内山節『内山節著作集9 時間についての十二章』pp.213-5]


ISBN:9784540141331

*1:p.099,p.113

*2:「時間論の立場からみれば、村人が「仕事」と呼んでいるものは、(…)自然と人間の関係をとおしてつくられる時間世界とともにあり、(…)人間と人間の関係のなかにある時間世界とともにつくりだされた労働である。/(…)ここでは自然と人間はひとつの世界を共有していて、その両者の関係のなかに時間世界がつくられ、仕事の世界が生まれるのである」(pp.201-2)

*3:「文字どおり、稼ぐための労働を意味し、その多くの形態は賃労働で(…)時計の時間を基準にした時間労働(…)農業でも林業でも、それが経営的合理性にもとづいておこなわれるかぎり、この村では稼ぎに分類される」(p.202)