Hatena::Groupbook

読書ノート

2017-05-15

pp.195-6

白鳥(庫吉)の論は、こうしたヒミコ像転換の背景がどこにあるかを語って、余すところがない。

(…)白鳥説がでるまでは、『魏志』倭人伝のヒミコを「生涯を神に捧げた巫女」とみる〝読み〟は、まだ成立していなかったのだ。白鳥説によって、ヒミコであろうはずがないとされた「軍国の政務を親ら裁断する俗界に於ける英略勇武の君主」像とは、まさに明治四十年代における明治天皇のイメージそのものではないか。

 また、

「男尊女卑は我が古俗なり」「夫婦の制が判然と確立」していることも、明治の皇室典範制定に際して、女帝否定論者によって繰り返し我が国の〝伝統〟として持ち出されたことであった。それ故に、現実に存在した過去の女帝たちは、政府による公的な解釈では「中継ぎ」であったとされ、古代史の学問上では、さらにそれに加えて彼女たちの本質は「巫女」だとする説が、しきりに唱えられるようになるのである。

(…)ヒミコと切り離された神功皇后のイメージにも、微妙で大きな変化があった。神功皇后伝説は、近世を通じて安産の守り神や疱瘡(ほうそう)除け等の民衆の信仰と結びつきながら、(…)国権拡張のシンボルとして紙幣の図柄ともなり、さまざまな神功皇后像が描かれた。しかし、その全盛期は、幕末・維新から明治二十年代半ばまでであって、日清・日露以後さ衰退するという*1。日清・日露以後といえば、内藤・白鳥説が出たのと同じ頃である。

[義江明子『つくられた卑弥呼─<女>の創出と国家』pp.195-6(括弧内引用者)]

  • Hokkaido University of Education Repository: 相撲における「女人禁制の伝統」について

ISBN:9784480062284

*1(若桑みどり「明治近代国家形成期における「女性神格」の創造」)