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読書ノート

2017-05-14

pp.150-2

七世紀末~八世紀初に、全国的制度としての戸籍が確立する。(…)そこでは公民身分の女性は、例外なく、一律に「**メ(女・売)」の名で登録されている。(…)

 ところが、同じ奈良時代作成の公的台帳であっても、「陸奥国戸口損益帳(むつのくにここうそんえきちょう)」とよばれているものをみると、そこでは、十名ほどの女性名の全てに「メ」がない。女性名に「メ」をつけるか否かは、その資料の性格と作成者(役人)の作成方針の違いであって、(…)戸籍の女性名から「メ」を取り除いてみれば、(…)戸籍上の男性名と共通する名称が少なくない。実態としては男女共通の名前であったものに、戸籍上で女=「メ」を付したと推定できるのである。

 戸籍は、中央集権支配を可能にする、租税徴収・兵士徴発のための基礎台帳である。(…)律令制以前には、部民制支配のしくみを通じて(…)男女を交えた集団労働が行われ、その成果も集団的に貢納されるので(…)男女個々人を厳格に台帳上で識別する必要は生じなかったろう。

 しかし、律令租税制のもとでは、納入の窓口はあくまでも一人一人の〝男〟である。奴婢についても、男女で法制上の扱いは異なり、戸籍上の婢の名前にはすべて「メ」がついている。(…)戸籍は、七世紀末の全国的な徴兵制度施行にともない、まずはそのための台帳として作成された。それまでは、戦いの場に女がいることは特別のことではなかった(関口裕子「日本古代の戦争と女性」)が、律令制以後は〝兵士=男〟が制度として定まり、(…)戸籍上で名前に「メ」を持つ人間は、兵士となりえない者=〝女〟であり、名前に「メ」を持たない人間は、兵士となるべき者=〝男〟という区分が、ここに明確に設定されたのである。

[義江明子『つくられた卑弥呼─<女>の創出と国家』pp.150-2]


ISBN:9784480062284

p.147

 近年*1、飛鳥京や平城京から多量の木簡が出土し、(…)公式の歴史書では「(…)皇女」「(…)女王」などと記される女性が、少なくとも八世紀前半まで、日常的には「(…)皇子」「(…)王子」「(…)王」だったことがはっきりした*2。訓みとしては「(…)ミコ」である。こうした用法は、口語の世界では平安時代にもひきつづき見られ(…)『古事記』は、この伝統的な実際の用法を、書式として採用したことがわかる。

[義江明子『つくられた卑弥呼─<女>の創出と国家』p.147]

ISBN:9784480062284

pp.139-40

古代の「兄」「弟」の用法は、現代とは全く違っている。古くは、男女それぞれが、自分と同性の年長者をエ、年少者をオトとよび、女性からみた兄弟は長幼と関係なくセ、男性からみた姉妹は長幼と関係なくイモ・モと(…)明確な区別があったのである。(…)

 それがしだいに、(…)現代と同じ用法にかわっていく。『日本書紀』や『風土記』の編纂された八世紀前半は、ちょうどその大きな変わり目にあたっていた。

[義江明子『つくられた卑弥呼─<女>の創出と国家』pp.139-40]

ISBN:9784480062284

pp.134-5

登場人物が男か女かを『風土記』の記載だけから判定することは、実はそれほど簡単なことではない。(…)

話の内容だけからでは、〝男〟とも〝女〟ともいいきれない。(…)

伝承世界での〝女〟〝男〟の境界は、きわめてあやふやである(…)このあやふやな境界を絶対なものであるかのように受け取って、これまで、「女」の「土蜘蛛」について論じてきたのだ。

[義江明子『つくられた卑弥呼─<女>の創出と国家』pp.134-5]

ISBN:9784480062284

pp.131-2

私たちは、ほとんど疑問の余地なく、文明化された朝廷の王者による未開の蛮族の制圧過程として、「土蜘蛛」の話を読み取るだろう。だがそれは、無意識のうちに『日本書紀』や『風土記』編者のねらいにはまってしまうことである。

 後世風の諡号(しごう)・尊称をとりのぞけば、五世紀ごろまでのヤマトの王や豪族は、実は、土蜘蛛たちと同質の名前をもっている。ここに目を据えれば、滅ぼした側も、滅ぼされた側も、こうした名前を身にまとうことに強い呪力の働きを見いだす、その意味では共通の宇宙観・自然観にたつ同質の首長たちだったことが、ありありとみえてくるだろう。

 名前の同質性に着目することは、ヤマトと「土蜘蛛」の対比の虚構性に目をひらかせるだけではない。〝男〟と〝女〟の区分への深い疑問にもつながっていく。

[義江明子『つくられた卑弥呼─<女>の創出と国家』pp.131-2]

ISBN:9784480062284

pp.126-8

「イイ(ヒ)トヨ」は鳥の名らしい。(…)『和名抄』には、「漢語抄」をひいて以比止与(いひとよ)とあり、(…)『新撰字鏡』では以比登与(いひとよ)、また与太加(よたか)とある。フクロウのことである。(…)

 この時期の大王の名を見ると、仁徳=「オオサザキ」、武烈=「ワカサザキ」は鳥の名である*3

[義江明子『つくられた卑弥呼─<女>の創出と国家』pp.126-8]

ISBN:9784480062284

p.125#b

男女区別なく同母グループごとに長幼の順で記していく古い系譜記載様式

[義江明子『つくられた卑弥呼─<女>の創出と国家』p.125#b]

ISBN:9784480062284

p.125#a

天皇ないし天皇に準ずる人物の名前には「尊」をつけるのが『日本書紀』の方針である。

[義江明子『つくられた卑弥呼─<女>の創出と国家』p.125#a]

ISBN:9784480062284

p.124

王族女性を「女王・皇女」(ヒメミコ)として、男性王族の「王・皇子」(ミコ)と区別する表記は、七世紀~八世紀初までは行われていなかった。『古事記』は、郎女(いらつめ)または(みこ)を使っていて、編纂時に近い、より確実な時代については男女区別なく「王」である。

[義江明子『つくられた卑弥呼─<女>の創出と国家』p.124]

ISBN:9784480062284

p.116

訓み自体は折口説でよいと思う。しかし、(…)イイトヨ王が「宮廷高巫」だったという結論にはならないだろう。(…)「葛城忍海之高木角刺宮に坐す」王として、群臣から、誰を「日継」にすべきかを問われたことにかわりはないからである。

[義江明子『つくられた卑弥呼─<女>の創出と国家』p.116]


ISBN:9784480062284

*1:二〇〇五年四月一〇日 第一刷発行

*2(東野浩之「長屋王家木簡の文体と用語」)

*3(サザキはミソサザイのこと)