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読書ノート

2017-05-13

pp.096-8

ヒミコの行った外交は、(…)動機においても、(…)儀礼方式においても、ワカタケルと何ら異ならない。(…)

 帯方郡からの使者が「黄幢」をもって倭国に到った時、(…)もし彼女が生きていたとしたならば、中国王朝の後ろ盾を示す「黄幢」を掲げ、ヒミコ自身が率先して戦陣に臨んだと想定することは、それほど突飛なことだろうか。(…)七世紀後半、百済滅亡の危機に直面して、ヤマト朝廷がその総力をあげて百済復興救援の大軍を派遣した時、斉明(さいめい)天皇は六十歳を超す老齢にもかかわらず出征し、軍営を設けた朝倉宮(あさくらのみや)(福岡県朝倉郡)で亡くなった。そのころまでの倭国の伝統においては、男女・年齢をとわず、国の命運をかけた戦いに王が親征することは当然のことだったのである。

(…)呪術的祭祀にすぐれた能力を発揮することと、軍事指揮の先頭にたつこととは、男女をとわず、倭王として備えるべき資質だったとみるべきだろう。

[義江明子『つくられた卑弥呼─<女>の創出と国家』pp.096-8]

ISBN:9784480062284