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読書ノート

2017-05-13

pp.094-5

外国からの使者の前に姿を現さないということは、倭王の外交儀礼としてのゆるぎない伝統であったらしい。七世紀末~八世紀初、中国式に整えられた藤原宮(ふじわらのみや)大極殿(だいごくでん)で、文武天皇がはじめて外国使の前に姿を現して拝賀をうけ(『続日本紀』(…))、ここにやっと中国式外交儀礼が確立する。(…)

外国の使者にとっては、ヒミコも含めて、古い時代の倭王はみな〝見えない王〟だった。

[義江明子『つくられた卑弥呼─<女>の創出と国家』pp.094-5]

ISBN:9784480062284