Hatena::Groupbook

読書ノート

2014-03-05

p.239

我が国にかんしては、経済主体の成熟というと、ほとんどの場合は労働者の熟練を指す。けれども消費にも技術があり、消費者にも熟練はありうる。たとえばヨーロッパでは、商品を(…)「使う」技術が蓄積されている。そうした文化においてブランド物のバッグを若者が買い漁ることは眉をひそめさせる行為とされている。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」p.239]

ISBN:448005863X

pp.238-9

近代法は、成人にかんしては、最終的には自己決定を基本原理とするしかない(…)しかし自己決定が意味を持つのは、(…)様々な観点から検討する機会が保障されている限りにおいてである。そのためには異質な意見に耳を貸して議論を重ねるようなモラルが必要になる。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」pp.238-9]


ISBN:448005863X

p.226

情報革命の進行とともに価格にかんする情報は行き渡り、コストダウンも生じている。(…)一方でそれは消費財の質の向上に対してどれだけの役割を果たしたかは不明である。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」p.226]


ISBN:448005863X

pp.223-5

少数企業による支配がコンテスタブルであるか否かは判断の難しいところだが、少なくとも不完全競争は、経済学の常識では自由競争の効率性を損なう事態とされている。ところがエコノミストや経済ジャーナリズムはこの件に対して静観するか、ないしはグローバルな水準での競争力がつくという理由で歓迎しさえしている。(…)

「信頼への不安」が関係しているのであろう。(…)

グローバル化する世界経済の中で規制緩和が諸方面で進行しつつあり、(…)行政への信頼に揺らぎが生じてもいて、(…)不確実性の縮減を期待し(…)巨大企業への同調・追随が生じているのである。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」pp.223-5]


ISBN:448005863X

pp.218-20

海外における潮流は、従来は国内の諸改革とはまったく別次元のものであった。(…)社会主義の没落が経済思想に与えたインパクト(…)によりグローバライゼーションとIT革命、そして諸改革が同一線上で論じられるようになった(…)

市場制度への評価は、いつのまにか(…)市場均衡論、および(…)合理的な人間観への評価にすり替えられてしまった。(…)例外状況を除けば自動的に調整されるから規制すべきではない(…)また経済人は合理的だから規制の撤廃は瞬時に行おう(「ビッグバン」)(…)市場を漸進的な規制改革のもとで作り替えるという発想は持たれなくなった。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」pp.218-20]


ISBN:448005863X

p.216

貨幣保有への欲望と社会的価値への欲求、そして個人的欲望の三者(…)

は相互に比較されて消費の意思決定がなされるのだが、専門知識が(…)ない場合、他人の評価が参照されることになる。(…)系列店員に始まって時々に信頼の対象が変わり、現在では国家への信頼が低下している。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」p.216]


ISBN:448005863X

p.212

 ハイエクは、経済において有効に用いられる知識は、科学的な発見のように(…)体系的・普遍的なものではない、という。(…)時と所を限るものであって、(…)カンコツなど言葉にならない技能的知識までが含まれ(…)消費者にとっては消費する際の習慣やカン・コツも同様に技能としての個人的知識である。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」p.212]


ISBN:448005863X

p.211

ミクロ経済学として教科書化されているような(…)新古典派の市場観は、実は社会主義のモデルと同一物なのである。二〇世紀いっぱいかけて実証された計画経済の破綻は、新古典派の市場観の破綻をも傍証しているのである。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」p.211]


ISBN:448005863X

p.210

一九二〇年代に勃発した(…)「経済計算論争」において、(…)社会主義者たちは、新古典派経済学の論理を用い、(…)計画経済は成立すると主張した。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」p.210]


ISBN:448005863X

p.208

超過利潤を求めて新たな商品が開発され流通するなかで、価格は変動し、商品の意味もまた変わる。つまり記号としての商品は、(…)資本主義という経済的システムによっても拘束されているのである。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」p.208]


ISBN:448005863X

pp.202-3

G・ジンメルは(…)商品に対して「距離」を感じるということがその商品を欲するということであり、その距離を克服し消費したいという気持ちが価値を生むという(…)

「距離」を感じるというのは、それまで習慣的に見過ごすかないしは当たり前のように反復購入してきた商品にかんして「気にかかる」という状態であろう。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」pp.202-3]


ISBN:448005863X

pp.199-200

 本源的生産要素*2はいずれも、K・ポラニーが言うように、資本主義以前には社会に埋め込まれ(…)生産要素の個別性は、その商品化を困難にするため、様々な制度に補完されることで一般性が与えられている。労働者はマニュアルや研修、組織の与える役職により、個人人格の個別性とは異なる機能としての労働力を引き出されている。(…)リストラの(…)不安を抱く人は、組織からはじき出され一個の人格として市場に立ち向かわざるをえなくなると考えて、流動性願望を強める。

土地や労働・資本について、価値が維持され貨幣と容易に交換されることが保障されているならば、流動性願望は抑えられるだろう。終身雇用制はそれを保障する制度であり、(…)生涯所得についての期待が不安に包まれ、貨幣保有願望が膨らむのを妨げる機能を果たしていた。ただしこれは、市場が不均衡なものだという理解が人々に共有される場合である。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」pp.191-2]


ISBN:448005863X

pp.194-6

貯蓄において将来に至っても消費されない(…)貨幣需要をケインズは「流動性選好」と呼ぶ。「貨幣愛」の別名であり、(…)

貨幣はそれ自体の性格によって保有されるのである。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」pp.194-6]


ISBN:448005863X

pp.193-4

長期をとれば価格メカニズムが発動されて不況は解消すると考えるこのようなケインジアン(…)

新古典派=ケインジアンの立場は、極めて反ケインズ的である。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」pp.193-4]


ISBN:448005863X

pp.191-2

一九八〇年代に内田隆三が著した消費社会論(…)

で主張されているのは、現代の市場経済が、(…)ケインズ的状況にあるということ(…)一国の経済規模を決める主導権は、生産の側にではなく需要側に握られ(…)消費は、(…)個人が単独で意思決定しうるものではなく、(…)産業システムが戦略的に(…)生み出す「コマーシャリズム」の支配下にあるとされる。(…)内田によると消費は、資本主義システムが、市場の需給秩序を維持するというみずからの存続条件を、経済外的要因や消費者個々人のきまぐれによることなく満たすために産み出すものである(内田、一九八七)

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」pp.191-2]

ISBN:448005863X

p.188

消費を現在時点の所得の関数だとみなすマクロ経済学では、需要側の独立変数を投資だけとみなすため、投資不足が需要不足と所得の減少、さらには消費不足も招くという理論構成を取っている。けれども、実物投資は、それによって生産される商品に対する将来の需要を期待して行われているはずであろう。消費の方が相対的に独立なのである。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」p.188]


ISBN:448005863X

pp.184-5

個々の企業組織においても、(…)情報の交換が組織の階層に沿って流れる必然性がなくなり、(…)中間管理層は、不要とみなされ始めている。(…)中間管理層のリストラは、IT革命の進展に随伴する現象である。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」pp.184-5]


ISBN:448005863X

pp.181-7

 主流派経済学は、消費の重要性を強調しつつ、しかしその内容については明示的な分析の対象とはしてこなかった(…)

一定の所得のもとで効用を最大化する計算のプロセスを説明するだけである。(…)それ以外は経済学の論じるべき分野ではないとみなされ(…)外見的・形式的な事柄に議論を絞って(…)消費についての大半の実質的な議論には、封印をしてしまっている。

(…)消費はマクロ的な次元において現代の資本主義の動向を決める主要因である。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」pp.181-7]


ISBN:448005863X

p.179

消費の重要性をこれほど強調したにもかかわらず、当のスミス*3は「消費」とはどのような活動であるのか、そこから得られる利益とは何なのかについて、ほとんど論及していない。「完全に自明のことであって、これを証明しようとするほうがおかしい」と書いただけですませてしまっているのである。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」p.179]

ISBN:448005863X

p.171

電子ネットワークの世界では、彼ら(オタク)はむしろ一般人であろう。(…)情報化とは、いわばオタク的な世界が一般に開放され、アクセスが容易になることなのである。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」p.171(括弧内引用者)]


ISBN:448005863X

p.170

解釈についての一般的なルールなど存在しないのである。それゆえ解釈は特殊な判断力として磨かれ、カンコツとして組織に蓄積されてきた。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」p.170]


ISBN:448005863X

pp.167-8

「護送船団方式」には、(…)国民の信頼をとりつけるという側面があった。そして本当は嘘であっても、政府や官庁の発表を国民が信頼するならば、実際に消費や投資が増し、景気が上向くということが起こりうる。(…)自身の環境を好転させるのだから、国民にとっても無条件に信頼することには合理性がある。ただしそれには条件がある。信頼が、決定的には裏切られないことである。(…)

 しかも外国の投資家となると、(…)日本の景気が良くなろうと悪くなろうと、彼らが目的としているのは投機で儲けることであり、(…)そのための正確な情報で(…)官民挙げて情報隠しが行われていると感じれば(…)大蔵省の発表よりも(…)格付け機関に信頼を寄せる。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」pp.167-8]

ISBN:448005863X

p.165

日本の長期的な雇用制度を手直しするには、雇用や給与制度そのもののあり方に止まらず、消費意欲や品揃えにも及ぶ影響があることに配慮しなければならない。終身雇用制に対する信頼が揺らぎ、しかし労働市場も信頼を勝ち得ていないのが現状である。制度変更に伴う不安を解消しなければ、消費意欲も消沈してしまうだろう。とりわけビッグバンのような制度の瞬時の切り替えは、人々の不安をかきたてるであろう。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」p.165]

ISBN:448005863X

p.163

 日本企業は七〇年代後半から、(…)解雇を可能な限り避けるという形で雇用調整を行ってきた。(…)九〇年代(…)後半となると、(…)雇用維持よりも新規雇用の創出や雇用流動化に議論の重心が移ってきている。つまり雇用が確保できなくなっているのである。(…)長期雇用制度が早晩もたなくなるという見方も同時に定着し(…)事実ではないとしても、そうなるだろうという期待が形成されてしまったのだ。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」p.163]

ISBN:448005863X

p.161

九三年末の不況の谷と、九七年一一月の拓銀・山一の金融破綻に際し(…)

「リストラ」(…)「失業」(…)マスコミや経済学者は「雇用の流動化」と言い換えようと努力した

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」p.161]


ISBN:448005863X

p.161

不安は、非合理な場合も含めて様々な理由から生じる。しかしいったん将来の恒常的な所得に対して不安を抱いたなら、合理的な根拠によって消費は切りつめられるのである。九〇年代の日本を、なんらかの不安が襲ったと思われる。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」p.161]

ISBN:448005863X

pp.159-60

 不況期には可処分所得が減少するが(…)消費性向は上昇して景気を下支えするという「ラチェット効果*4」の存在が従来指摘されてきた。ところが九七年以降、所得の減少を上回って消費が減少するという現象が見られるようになる(図10)。これにより「消費不況」という言葉がしばしば使われるようになった(以下、セゾン総合研究所、一九九九)

 その原因としては二つの見方がある。一つは九七年の消費税率引き上げとそれに続く特別減税の廃止、医療費自己負担・社会保障費負担の増額という「九兆円の負担増」(…)年末には所得税が減税され財政支出は拡大されたが、(…)翌年も消費は一層減少している。(…)

注目されるのが、国民負担をきっかけに生じた将来不安が消費を差し控えさせたというもう一つの説である。ラチェット効果は、所得にかかわらず生活に必要なものを購入しようとするところから現れる。それが働かなかったということは、(…)支出の中心が選択的消費に移りつつあるということを示している。消費が所得と直接の相関を見せなくなったということだが、この傾向は七四年頃から明らかになっていた。それが今回は景気後退に際しても現れたのである。ただしここでいう選択的消費は、(…)手元の流動性を増やすこと、すなわち消費しないことも選択肢に入れている

 これは恒常所得仮説とも整合的である。

[松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」pp.159-60]


ISBN:448005863X

*1:「アソシエーション(…)ごと「原子化」すること、すなわち異質な人々の総意から成り立つべき公事に関心を持たなくなるという事態(…)社会学者のロバート・N・ベラーらは(…)『心の習慣』においてこれを、「ライフスタイルの飛び地」と呼んだ。/「共同体というのは、(…)相互依存関係を良しとしつつ、包括的な全体であろうとするものである。(…)ライフスタイルというのは根本的に断片的なものであり、類似した者どうしのナルシシズムを良しとするものである」。」(p.232)

*2:金子勝

*3:アダム・スミス

*4:p.20,p.83