Hatena::Groupbook

読書ノート

2014-01-08

p.53

資本主義にとって、民主主義という言葉・主張・イデオロギーはその利潤追求の露骨さを隠蔽する絶好の用具となっていた。(…)

 民主主義の(…)ホンネからいえば、民主主義は金と暇のある〝豊かな〟社会において成育する。逆にこの〝豊かさ〟が失われた場合の例としては、一九三〇年代の日本およびドイツ(…)どちらも民主主義は棄てられたが、資本主義の根幹は維持されていた。現在いわれている〝民主主義〟も、先進国の豊かな社会に適合する制度であり、いわゆる途上国ではしばしば機能しがたいものとなる。それにもかかわらず、資本主義の利益と民主主義とが同一視されている限り、それは資本主義にとって計り知れない効用を持っている。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.53]


ISBN:4409040499

pp.54-5

憲法や国家、政治や行政だけが問題なのではない。このような資本主義社会ではホンネとタテマエの乖離も各方面、各分野にわたっており、より深刻なのはやがてそれがわれわれの倫理・精神の次元にまで及んでくることである。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」pp.54-5]


ISBN:4409040499

p.54

資本主義は確かにグローバル化したが、その破壊的影響はある国が民主的であるかどうかは問わない(…)グローバルな観点からすれば、もはや、(…)民主主義の効用は昔話となった。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.54]



ISBN:4409040499

p.49

普遍的・一般的な市民の権利が社会に定着するのは、個別の国民国家においてであった。資本主義と民主主義は、この基盤の上に提携し(…)

三者はトライアングルをなして、相互依存の関係でそれぞれが発展、拡大の道を辿ってきた。国民国家は資本主義と民主主義の発展に、民主主義は資本主義と国民国家の拡大に支えられて成長、拡充されてきたのである。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.49]


ISBN:4409040499

pp.46-7

護憲か改憲か(…)論議のスタイルは半世紀間変わっていないし、そのこと自体が情熱と活力の減退を物語っている。(…)

 日本国憲法五十数年の歴史は、三つの主張を鮮明にしてきた。護憲・改憲および解釈改憲の立場である。その間の対立と葛藤は、戦後の政治的対立そのものだった。

(…)護憲・改憲両派も(…)本当はその時々のご都合主義ともいえる官僚的解釈改憲に追従し(…)タテマエでは対立しながら、ホンネでは官僚が与える解釈に満足してきたのである。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」pp.46-7]


ISBN:4409040499

p.45

 まさに近代世界が生みだした諸国の憲法も、その当初、人々の間にあえてタテマエに生きようとする情熱と活力が漲っている間は生命力を失わなかった。私はそのような情熱と活力を「志」と呼ぶ。活力とは、各人が目先の自己利益はひとまず措いて、他者の利益や主張をも包みこむ普遍的な立場に身を置こうとする自己抑制力のことである。

 今、どこまでも自己利益を主張することが個人の当然の権利とみなされ、「志」の失われてしまった現代に、憲法はホンネとタテマエが乖離した典型となっている。このことは同時に、世界史的に見ても近代国家がもはやその役割を終えようとしている時代の徴候かもしれない。

[河原宏「素朴への回帰/国からクニへ」p.45]


ISBN:4409040499