Hatena::Groupbook

読書ノート

2013-10-08

p.46#b

ところで,もしも今日(けふ)といふ時を没却し,従って内面性と共に〈特殊〉も没却した場合には,未来や過去に「重心」を置くのが必然と化し,それによって,壮大な理論の体系を築き,多数の人々を多年に亙って誘惑し続けるのがいとも容易になる。(…)

 今日(けふ)といふ時に「重心」を置く事は,過去において「今日」といふ時を十全に生きてゐた人々に向き合ふ際に不可欠の条件となる。我々が古典といふ名の極めて良質の過去と向き合へるのは,我々が今日といふ時に「重心」を置き,内面の生を十全に保ち得てゐる場合に限られるであらう。

(…)

 今日(けふ)の時を我々の内面に回復する事。それは,時が我々の外側にではなく,内側に流れてゐるといふ事を自覚する事に他ならない。

[照屋佳男「〈特殊〉の存在理由 」『ソシオサイエンス』Vol.9 p.46]


ISSN:1345-8116

トラックバック - http://book.g.hatena.ne.jp/xyn9/20131008