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読書ノート

2017-04-26

pp.62-3

 大宝律令を施行する(…)

宣命の文体でまず注目されるのは、(…)天皇の命令を読みあげ、みんなよく聞け、と命じていることである。(…)

 かつて邪馬台国(やまたいこく)の卑弥呼は、直接人びとに語りかけることはなく、その命令は近侍する一人の男子によってつたえられた。(…)

 なお人びとに直接には語りかけないという宣命の文体は、明治天皇の即位宣命まで生きつづける。

[吉田孝『歴史のなかの天皇』pp.62-3]


ISBN:9784004309871

p.61#b

日本の律令は、(…)学令(がくりょう)が規定する大学の教科書から、唐令にある老子(ろうし)』は削除されている。なお、唐令に『老子』があるのは、唐の皇帝の姓が老子と同じ「李」で、老子を皇帝の祖先としていたからである。

 教団道教を排除した日本の律令は、仏教を重視した。(…)仏教はインドを源流とし、日本が中国から宗教的に自立する拠点となった

[吉田孝『歴史のなかの天皇』p.61#b]

ISBN:9784004309871

p.60

賜姓(しせい)」による臣籍(しんせき)降下が日常化し(…)

政治的地位・職掌と関連していたウヂ名・カバネを継承した「姓」が((…))、自動的・事務的に一律継承され、しかも社会規範*3と無縁で(…)現実の社会生活にそくした「名字(みょうじ)苗字(みょうじ)発生し、「姓」と「名字」が重層化していく

[吉田孝『歴史のなかの天皇』p.60]

ISBN:9784004309871

pp.58-9

 女帝の規定は、興味深い問題をふくむ。一つは「女帝」の表記(…)

もう一つは、日本の律令は、女性に「男性とは関係ない独自の地位」を規定していることである。たとえば位階も、夫に関係なく、女性独自に授与され、三位以上の貴族に付される「家」(家政機関)も、女性は独自にもつ*4

(…)中国では、皇帝と皇后は一体であり、皇后の宮や役所を独立には置かないが、日本では、天皇と皇后はそれぞれ独立のものとして、皇后の宮や役所が、独立に置かれる*5

 「皇太子」の地位は、唐の律令より低い。(…)唐の律令では皇太子が皇后の上位にあるが、日本律令では逆に皇后が皇太子の上位にある*6

[吉田孝『歴史のなかの天皇』pp.58-9]


ISBN:9784004309871

pp.57-8

唐律令と異なり日本律令は「女帝」を一般的に規定し(…)

「女帝の子も親王とする」規定をわざわざ書き加えている。(…)この規定は女帝が先帝でない配偶者をもつ場合に意味をもつ。(…)日本の律令は「諸王(しょおう)(皇帝の孫以下の皇親)を配偶者とする女帝((…))を規定している。しかも大宝令の注釈書は、女帝と結婚した諸王は、「諸王」のままとする。

[吉田孝『歴史のなかの天皇』pp.57-8]

ISBN:9784004309871

pp.56-7

 まず律令全体の特色として、中国では、実際に王朝(君主の血統)の交替が何度もあったから、律令もまた、それをやむをえないものとしてつくられているのに対して、日本律令は、王朝交替はないものとしている。それは中国の正史(せいし)((…))が、王朝の交替を前提としているのに対して、日本の「記紀」が王朝交替はないものとしているのと共通する。(…)

 唐律はきわめて高度な体系的な法典であった*7。したがって日本律令を制定するさい、大幅に書き変えることはむずかしく、唐律をほとんどそのまま継承し、(…)

「天皇」を加えた(…)

 皇族についての規定で、まず注目されるのは、太上(だいじょう)天皇」と「女帝(じょてい)」についての規定新しく付加していることである。

[吉田孝『歴史のなかの天皇』pp.56-7]

ISBN:9784004309871

p.55

 皇帝の権力は本来、律令を超越する絶対性をもつ。(…)

 日本の律令も、君主のありかたを直接規定していない(天皇位の継承、天皇の権力についての明文の規定は、明治憲法が最初である)。しかし中国の律令が、皇帝権力と貴族勢力とのきびしい緊張関係の上に存在していたのに比べ、(…)

天皇と畿内豪族は、緊張関係というより、相互依存もたれあいの関係であった。

[吉田孝『歴史のなかの天皇』p.55]


ISBN:9784004309871

p.54

 日本が体系的な『律令』を編纂したのは、推古朝以来、中国王朝の冊封をうけなかったことと、密接に関係している。『律令』法典は、「王」を臣下とする「天子・皇帝」の定める帝国法であったから、中国王朝から「王」に冊封されていた高句麗・百済・新羅は、体系的な『律令』法典を編纂することはなかった

[吉田孝『歴史のなかの天皇』p.54]

ISBN:9784004309871

p.53

 大海人が近江朝廷に反乱をおこしたとき、(…)兵士たちは、衣に赤い布をつけ、旗にも赤色を用いたとつたえられる。(…)劉邦(りゅうほう)の反乱軍が、赤い旗幟(きし)を用いたのにならったという。

[吉田孝『歴史のなかの天皇』p.53]

ISBN:9784004309871

p.48

史料で確かめられる最初の「生前譲位」(…)は、朝廷の大臣・大連ら群臣の推戴(すいたい)によってではなく、(…)皇親の独自の意志によって皇位継承が行われた点で、画期的な出来事であった。

 これ以後、有力な豪族・権力者の意向によって、皇位継承が「事実上」左右されることはあっても、「制度的」には(慣習法をふくむ広義の制度)、王権の意志によって皇位継承が行われる。

(…)つたえられた「乙巳の変の物語」は、①天皇の地位は「血統」が基本であること、②天皇の地位は豪族から独立した、天皇一族の意志にもとづく「譲位」によること、の二つの点を明示している。この「血統」と「譲位」の二点は、その後の天皇制度の基本となる。

[吉田孝『歴史のなかの天皇』p.48]

ISBN:9784004309871

p.23

ヤマトの倭王だけが前方後円(方)墳をつくったのではなく、倭王を共立した各地の族長もつくっていることに注目したい。倭王と族長たちは、規模の差こそあれ、基本的性格として同質の要素があったのである。

[吉田孝『歴史のなかの天皇』p.23]

ISBN:9784004309871

p.21

 なお、『魏志』の東夷(とうい)伝(…)には「天を祭る」記述がたくさんみえるが、弁辰(べんしん)(朝鮮半島の南端)と倭には「祭天」の記事がない。祭天は北方アジア系、アルタイ系遊牧民文化の天崇拝につらなる。倭の文化は古代の中国南部、朝鮮半島南端と類似していたらしい。

[吉田孝『歴史のなかの天皇』p.21]

ISBN:9784004309871

*1(元旦など重大な儀式の服)

*2(皇太子以下には中国的な礼服を規定する)

*3(たとえば中国のような同姓不婚)

*4(たとえば、長屋(ながや)王家(おうけ)とその妻の吉備(きび)内親王家(ないしんのうけ)は、別々に並立していることが木簡(もっかん)で知られる)

*5(皇子などもそれぞれ独立の宮をもつ)

*6(職員令の配列、公式令平出(へいしゅつ)条など)

*7(よくローマ法と対比される)

2017-04-21

p.206

神社祭祀において、「ヒメ」神を合祀する動きは七世紀末ごろに始まり、(…)「ヒメ」神を合祀(ごうし)することによって、本来は性別のなかったはずの自然神が、男性名を帯びた人格神として確立していくことになります。

[義江明子『古代女性史への招待 〈妹の力〉を超えて』p.206]


ISBN:9784642079372

p.203

古代の王族は、もともとは女も男も同じく「ミコ」(御子・王)と呼ばれていました。(…)男女で異なる称号が設定されるのは、七世紀末~八世紀初の律令国家体制確立期です。(…)律令国家体制以前には、男女の「ミコ」が「ミコの宮」を経営して、それを基盤に政治的・経済的力を発揮していましたから、(…)称号における「差異」は、権力における男女の非対称性の設定を明示しているのです。

 ただし、(…)「天皇」という称号には男女の別はありません。天皇は法を制定する主体であり、天皇の地位は律令法を超越していました。(…)「天皇」=男、と制度的に定められるのは近代のことであり、これは、社会全体の新たなジェンダー編成と密接に結びついています。

[義江明子『古代女性史への招待 〈妹の力〉を超えて』p.203]


ISBN:9784642079372

pp.201-2

男女の性差を設定しそこに何らかの意味を与えていく社会的しくみ――ジェンダー――は、「差別」や「平等」という近代的概念だけではとらえきれないものであることがわかります。

(…)「差異」は本質的に非対称的な権力関係なのですが、実際には、しばしば「対称」的な(よそお)いで設定されるのです。

(…)「差異」がまとった「対称」的な装いを、実体としての男女「平等」と見てしまいがちだったのではないでしょうか。

[義江明子『古代女性史への招待 〈妹の力〉を超えて』pp.201-2]


ISBN:9784642079372

pp.194-5

 鹿島(かしま)神宮には、明治四年まで、物忌(ものいみ)といわれる女性祭祀者がいました。(…)史実をみていくと、中世末までは通常の神職の一員であったものが、近世になって、男性神職者内部の権力争いの過程で、物忌のことさらな権威化がはかられていったことがわかります。近世は、一般的には女性不浄(ふじょう)観・女性蔑視(べっし)が社会に浸透し、女性を神仏の場から遠ざける女人禁制(にょにんきんせい)も各所にみられた時代です。(…)女人禁制と女性神秘化という、一見正反対にみえるものをつなぐ〝からくり〟

[義江明子『古代女性史への招待 〈妹の力〉を超えて』pp.194-5]


ISBN:9784642079372

pp.185-7

 古代の家をめぐる重層した帰属意識とは、(…)実は、どこにも安定した帰属感をもっていないということだったのではないでしょうか。つまり、帰るべき「家」(の背後にあるべき安定した家族関係)がないのです。

(…)古代における〝帰るべき家〟の欠如とは、(…)公と私の関係のなかでも見られるのです。

(…)日常生活の営まれる場全体を外から(なが)めた時には、その全体こそが、自分の帰属する場、心安らぐ場と考えられている(…)そもそも、公と私の関係、区別のありようが、現代の私たちの社会とは違うようなのです。

[義江明子『古代女性史への招待 〈妹の力〉を超えて』pp.185-7]


ISBN:9784642079372

p.166

日本古代は、東南アジア・環太平洋地域に広がる非父系の双系的社会の一つとしてとらえ直されています。(…)そこで明らかになった基層社会の実態は、父方母方双方の親族関係の中で、男女が生産労働に重要な役割を果たし、内在的に男女差を生み出す契機には乏しい、(…)一方、(…)対比する形で、中国の先進的支配体制を取り入れた、国家主導の父系・男権への傾斜も浮き彫りになりました。

[義江明子『古代女性史への招待 〈妹の力〉を超えて』p.166]


ISBN:9784642079372

2017-04-20

pp.161-2

 カモ社は平安京の東北、鴨川の水源地付近に位置します。雷神は(…)古くからこの地域一帯を支配した賀茂県主一族によって祭られてきました。『風土記』の物語は、一族の支配の由来を語る伝承でもあるのです。(…)平安時代になると、皇女の斎院が派遣されて、(…)十三世紀初を最後に行われなくなりますが、賀茂県主氏出身の女性神職である忌子は、斎院の下で、また斎院廃絶後も、男性神職とともに日常の神事を担い、近世末まで存続しました。

[義江明子『古代女性史への招待 〈妹の力〉を超えて』pp.161-2]


ISBN:9784642079372

pp.149-50

(みあ)いて()()というかたちで両親の名を記す系譜は、じつは古代、特に七世紀末以前には、ごく当たり前のものでした。『古事記』の神々や天皇の系譜も、『天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)』に刺繍で記された聖徳太子と妃の系譜も、同じ形式です。

 古代の結婚は、女と男が出会い、意気投合すると結ばれ、子を生む(…)生まれた子からみて父と母はどちらも重要で、社会的地位はどちらからも受け継ぐことができました。両方をあわせて継ぐこともありました。父系でも母系でもない双系的社会だったのです。

[義江明子『古代女性史への招待 〈妹の力〉を超えて』pp.149-50]

ISBN:9784642079372

p.138

ツマトヒ婚の、〝自由〟や〝男女の対等〟は、あくまでも、村や親族の支えを土台としてなりたつものです。そもそも、性愛自体が、出産と豊かな収穫を重ね合せて村全体の繁栄を願う呪術的信仰と、強く結びついていました。男女個人の恋愛感情と経済責任だけで成り立つ現代の同棲(どうせい)と、()()なる理由はそこにあります。

[義江明子『古代女性史への招待 〈妹の力〉を超えて』p.138]


ISBN:9784642079372

pp.127-8

 けれども、現実の社会のゆがみを照らしだし、それを相対化し乗りこえる途を歴史に探ろうとする時、ゆがみを正す救世主の役割を女性に求めてよいものでしょうか。

(…)女性に本質的な「聖」性をみ、現実世界救済の夢を託す志向は、私たちのなかに根強くあり(…)

女性の現実の地位低下に並行して、一部女性の権威化・神秘化がはじまるのです

[義江明子『古代女性史への招待 〈妹の力〉を超えて』pp.127-8]


ISBN:9784642079372

p.124

「それ*1は女性の精神的庇護から遠ざかってしまった不幸なのではなく、男が女を象徴的文化装置(女性原理―〈妹の力〉論もその一つ―)におしこめてしまったことの不幸であり、そうすることによって対等なパートナーを見失ってしまったことの不幸である」

[義江明子『古代女性史への招待 〈妹の力〉を超えて』p.124]

  • 男尊女卑と天皇蔑視の安倍政権支持者のこと - ゴー宣ネット道場(キャッシュ)

ISBN:9784642079372

pp.122-3

 古代の伊勢神宮では、童男・童女が、小さき者としての聖性をもって、成人男女にかわって神事奉仕を行っていました。そして、男女がともに、身体的成長および婚姻によって退任しました。(…)中世・近世になると、伊勢物忌の後身の子良(こら)は、月水(生理)の始まりで、〝子良(こら)(はな)ち〟=退下させられました。これは明らかに、〝女の(けがれ)〟観にもとづく成人女性の排除です(義江 一九九六)。古代との大きな違いが注目されます。

[義江明子『古代女性史への招待 〈妹の力〉を超えて』pp.122-3]

ISBN:9784642079372

p.121

小林(茂文)氏が明らかにした、男女双方からの呪術的ツマドヒノタカラの交換による性的拘束とは、(…)

男女の相補的な求めあいであり、個別の一対を超えた共同関係の集約的表現であることを、ありありと示していると思う

[義江明子『古代女性史への招待 〈妹の力〉を超えて』p.121(括弧内引用者)]

ISBN:9784642079372

pp.107-8

男女の性的結合のもつ人間にとっての普遍的重要性、その根源的力への信仰、そこに込められた人々の願い、(…)それがどうゆがめられてきたのかを明らかにすることによって、未来の課題である男女の性の解放――人間性尊重・共同性再生――への展望を開いていくことができるのではないでしょうか。

[義江明子『古代女性史への招待 〈妹の力〉を超えて』pp.107-8]

ISBN:9784642079372

pp.103-4

〝女の霊力〟の神格化は王権レベルから始まり、それは同じ時期における公的社会的地位からの女性の排除の進行と、明確に対応していました。伊勢斎(いせのいつき)斎宮(さいぐう)賀茂斎(かものいつき)斎院(さいいん)は、与えられた権威の高さにおいては「最高の巫女(みこ)」でしたが、共同体の豊饒の祈りを担った本来の巫女の伝統からは、最も遠いものでした。

(…)

 『妹の力』の構想の大きな背景となったのは、沖縄のオナリ神信仰にみられる、姉妹の兄弟に対する霊的守護、聞得大君(きこえのおおきみ)を頂点とする女性優位の祭祀のあり方です。柳田(国男)はそこに日本の古代を見出し、玉依ヒメをめぐる考察をふくらませていきました。しかし、沖縄の祭祀体制は、古代からの化石として存在しているのではありません。一四~一五世紀の琉球王権形成過程において、それまで村落レベルで存在していた男女双方の祭祀機能のうち、女性の霊力を積極的に支配構造のなかに組み込み政治的意義を与えることで、歴史的につくられていったシステムであることが、現在では明らかにされています。

[義江明子『古代女性史への招待 〈妹の力〉を超えて』pp.103-4(括弧内引用者)]

ISBN:9784642079372

pp.100-2

古代の神社・宮廷における祭祀は「男女一組」となって行うのが常態で、両者の地位に本来は優劣・上下の関係はなかった*2(…)男性の神がかりの伝統は古い時代から確認でき*3(…)玉依ヒメ・玉依ヒコの名称に明らかなとおり、霊力(玉=魂)をよりつかせる能力を持ったのは女性だけではありませんでした。(…)

七世紀以前の古伝承を核とすると思われる氏文(うじぶみ)の中で、神への食事奉仕の由来は「八乎止古(やをとこ)八乎止竎(やおとめ)」によるものとして語られ*4、ヤヲトコ・ヤヲトメによる神饌奉仕は、平安期の宮廷祭祀儀礼にも生き続けています。(…)

八世紀の『風土記(ふどき)』には、豊饒(ほうじょう)を願う春の予祝行事たるカガヒの場で、「加味乃乎止古(かみのをとこ)」と「加味乃乎止売(かみのをとめ)」が性的に結ばれる物語が描かれています*5。また、(…)「土偶・石棒のような造形品が、特に男・女のどちらかの性の優位性を示しているとは、状況からみていえない」*6との指摘が、考古学のほうからなされています(…)豊饒の祈りに欠かせないのは、女性の出産機能そのものではなく、男女の結合(…)豊饒を願う神事は、男女によって担われていたのです。

[義江明子『古代女性史への招待 〈妹の力〉を超えて』pp.100-2]

ISBN:9784642079372

p.91

 どのような脈絡の中で、何のための働きかということを抜きにして、(…)〝重要性〟だけを語ることは、間違っています。(…)制度の矛盾を一身にひきうけての働きを、無条件に賞揚することはできません。

[義江明子『古代女性史への招待 〈妹の力〉を超えて』p.91]

ISBN:9784642079372

*1:「
③伊勢斎王制の開始天武朝の大来(おおく)皇女より 持統(じとう)が斎王制確立 王権からの〈妹の力〉の排除
女性敗北の嚆矢(こうし)
」(p.116)

*2(岡田 一九八二)

*3(『日本書紀』天武元年七月条、『三代実録』貞観七年十二月九日条など)

*4(『高橋氏文』)

*5(「常陸国香島郡条」)

*6(間壁 一九八五)

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