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読書ノート

2017-10-23

p.114

近代は、政治と世界観が密接に結びつくようになった時代でもある。

(…)かつて教会は世界観を独占することを支配力の源泉としてきたが、近代では、世俗権力である国家が世界観を利用してその支配力を行使するのである。

[中野剛志『経済と国民 フリードリヒ・リストに学ぶ』p.114]


ISBN:9784022737342

pp.110-5

(トーマス・)クーンは、歴史をもって実証主義的な科学観を覆したのである。

 パラダイムは、常に何らかの変則事例が存在する余地を残しつつも維持される。しかし、(…)深刻な変則事例の出現は、パラダイムの支配力を弱めていく。科学者たちは次第に、既存のパラダイムに対して無批判ではいられなくなる。そしてついに、代替となるパラダイムが提示され、競合するようになると、既存のパラダイムはいっそう動揺し、危機に陥る。(…)

 クーンは、既存のパラダイムから新たなパラダイムへの転換は、連続的なものではなく、非連続的な「革命」であると強調している。(…)お互いに共約不可能(incommensurable)だというのである。

(…)パラダイムの共有が論証の前提なのだから、パラダイムの正否を論証することはできない(…)

 それゆえ、パラダイム間の選択を巡る論争は、(…)

論理や実験によってのみで決着するのではなく、「説得」によってなされることとなるとクーンは言う。

(…)「競合する政治的制度の間の選択と同様に、(…)相容(あいい)れない共同体の生の様式の間の選択であることがわかる*27

(…)その際、彼の念頭にあったのは主として自然科学である。これに対して社会科学のパラダイムの競合は、政治闘争そのものにほぼ等しいと言ってよい。

[中野剛志『経済と国民 フリードリヒ・リストに学ぶ』pp.110-5]


ISBN:9784022737342

p.108

 経済学が科学としての地位を確立すると、経済学者たちは社会問題や政治問題に対して同じような見解や態度を示すようになったという(…)それは、経済学者を一つの社会集団とみなして分析することが可能になったということを意味する。「経済学者の社会学」を立てるべき機が熟しつつあるということだ。

[中野剛志『経済と国民 フリードリヒ・リストに学ぶ』p.108]

ISBN:9784022737342

p.99

日常生活における実践経験は、科学を含むあらゆる認識や思考においても基礎となるし、そうあるべきであるという思想がプラグマティズムである。このような日常生活の経験を何よりも重んじる哲学の学説が登場した背景には、日常生活を営む庶民の台頭、すなわち民主化という社会状況の変化があった。

[中野剛志『経済と国民 フリードリヒ・リストに学ぶ』p.99]

ISBN:9784022737342

p.98

 ある社会集団が閉鎖的で安定的に存在している間は、その社会集団の思考や認識は画一的なものとして安定している。しかし、階級、社会あるいは文化の間の社会的移動が頻繁になると、思考や認識が階級、社会、文化によって異なることが、(…)明白になる。社会が不安定化すると、思考や認識も多様化していく。

[中野剛志『経済と国民 フリードリヒ・リストに学ぶ』p.98]


ISBN:9784022737342

pp.92-5

 我々が科学と呼んでいるものは、実は、非科学的な行為を出発点としているのである。

(…)シュンペーターは(…)この「前・科学的な認知の行為」に対して「ヴィジョン」という名を与え、照射した(…)

「原初のヴィジョンとは本質的にイデオロギーであり、(…)妄想をも含みうるものである*5

(…)

 とは言え、いかなる科学も、ヴィジョンなしでは始まらない。(…)「新たな材料を得て、何かを定式化し、守り、攻撃する(…)その過程の中で、事実の蓄積はち、若返る。我々は、我々のイデオロギーゆえに遅々としてしか進めないのだが、それなしでは一歩も進めないであろう*8

[中野剛志『経済と国民 フリードリヒ・リストに学ぶ』pp.92-5]


ISBN:9784022737342

2017-10-17

pp.76-9

理論経済学の発展は、継続的な進歩(progress)ではなく、退歩(degress)であった。(…)

 カルドアがこう述べたのは一九七二年の講演においてであった。

(…)

 主流派の経済学者たちは画一的な学界の中に閉じこもり、極めて強い仲間意識をもち、自分たちの仲間以外の専門家たちの見解や研究にはまるで興味がない。そして、彼らの理論の是非の判断基準は、事実ではなく、学界の権威が判定する数学的理論の純粋さのみである*78。(…)

自由貿易を巡る議論に典型を見るように、現在の経済学界や経済論壇の水準は、リストを抹殺した十九世紀前半のドイツのそれと、さして変わりはない。

 にわかには信じがたいかもしれないが、これが経済学の現実である。

[中野剛志『経済と国民 フリードリヒ・リストに学ぶ』pp.76-9]


ISBN:9784022737342

p.72

ケーニスベルク大学は、プロイセンにおける「スミス主義の牙城」であった。同大学のクラウス教授の講義はスミスの著作の「翻訳の講義」と言われながらも人気を博し、多くのプロイセンの貴族や官僚たちが聴講した。(…)

 こうした知的雰囲気の中で、リストは青年期を送った。(…)

 もっとも、輸入学問にありがちなことであるが、当時のドイツで流布した経済学の教科書は、スミスの本来の思想から乖離(かいり)し、逸脱したものであった*67

[中野剛志『経済と国民 フリードリヒ・リストに学ぶ』p.72]

ISBN:9784022737342

pp.63-4

十九世紀から二十世紀前半までのアメリカは、(…)極めて強力な保護貿易政策を行った。(…)この保護主義の体制は「アメリカ体制(American System)」と呼ばれる。

(…)

 南北戦争の終結は巨大な国内市場を創出したが、その巨大な国内市場が高関税によって保護されたのである。「アメリカ体制」はこうして完成した。

[中野剛志『経済と国民 フリードリヒ・リストに学ぶ』pp.63-4]

ISBN:9784022737342

pp.51-4

 リストは言う。個人の知識や技能は、特定の職業に継続的に従事することで獲得されるから、「個々人はふつう、職場を変えられると、習熟と慣行と技能とに存する彼らの生産力の大部分を失う」はずである。(…)

 「作業継続」の原則による収穫逓増は、製造業において特に大きく働く。それは、裏を返せば、作業が中断することによる損失は、製造業では甚大なものになるということである。(…)

作業継続による収穫逓増が働く製造業では、製造の中断、生産力の源泉である技能や熟練が途絶することを意味する。(…)それを恐れる企業は、不況で赤字経営になっても製造を止めることができないのである。これは、需給が調整されず、供給過剰の状態が続くことを意味する。こうして、デフレ不況は長期化する。

[中野剛志『経済と国民 フリードリヒ・リストに学ぶ』pp.51-4]

ISBN:9784022737342

pp.46-7

 (アリン・A・)ヤングは一九二八年の講演「収穫逓増と経済的進歩」の中で、収穫逓増の法則*1が特定の企業や産業の中でのみ働くのではなく、各産業部門のオペレーションが相互に関係した全体(an interrelated whole)であるような経済において発揮されることを強調した*19

 リストは、収穫逓増は分業と結合によってもたらされるのであり、その分業と結合は、一工場のみならず、経済システム全体の相互連関によって発生する収穫逓増、これこそが経済成長と呼ばれる現象にほかならない。(…)

 ヤングは、技術革新という要因をあえて除外して、(…)内生の要因として、収穫逓増を生み出す分業と結合を特定した。(…)

 これに対して、リストは、技術進歩もまた、経済システムから「内生」するものと考えていた。

[中野剛志『経済と国民 フリードリヒ・リストに学ぶ』pp.46-7]


ISBN:9784022737342

pp.37-8

 リストは、政治経済学の体系を次の二つに整理する。「世界主義経済学と政治経済学」あるいは「交換価値の理論Theoric der Tauschwerteと生産諸力の理論Theorie der produktiven Kräfte*5」である。

 経済自由主義は、「世界主義」であり、「交換価値の理論」である。これに対して、リストが提唱するのは、「政治経済学」であり、「生産諸力の理論」である。なお、リストは、「政治経済学」を「国民経済学」と同義とみなしている。ネイション*2の概念を中核に据えた経済理論を「政治経済学」と呼ぶのである*6

 ここで重要なことは、「生産諸力の理論」「国民経済学」でなければならないということである。(…)

 リストによれば、古典派経済学の理論は「交換価値の理論」、すなわち、すでに存在する富や価値の交換や配分に関する理論である。しかし、「富の原因は富そのものとはまったく別のもの」であり、そして、「富をつくり出す力」は、「富そのものよりも無限に重要である*7

 「富をつくり出す力」を探求するのが、リストが提唱する「生産諸力の理論」なのである。

[中野剛志『経済と国民 フリードリヒ・リストに学ぶ』pp.37-8]

ISBN:9784022737342

*1:「リストは、分業と結合によって、生産規模をn倍にすると生産量がn倍以上となる「収穫逓増の法則」が働くと論じた」(p.40)

*2:「「ネイション」とは何かを確定することは必ずしも容易ではない。(…)今日、最も有力と思われる定義は、おそらくナショナリズム研究の第一人者であるアンソニー・スミスによるものであろう。すなわち、「ネイション」とは、「歴史的領土、共通の神話や歴史的記憶、大衆、公的文化、共通の経済、すべての構成員に対して共通の法的権利義務を共有する特定の人々*3である。
 この「ネイション」について、リストは次のように述べている。「しかし個人と人類とのあいだには、特有の言語と学芸とを持ち、固有の由来と歴史を持ち、特有の習俗、習慣、法律、制度を持ち、存在、独立、進歩、永続に対する要求を持ち、区画された領土を持つ、国民が存在している*4[傍点筆者]」(p.36)

2017-10-14

pp.250-2

自民党の地滑り的勝利をもたらした四年前の衆院選も、小選挙区における両党の得票率の差は、大きくなかった。(…)

二大政党というより、一党優位体制が交代しているに過ぎない。(…)

公共事業費の削減などにより緊縮財政を断行した小泉政権の構造改革は、デフレを引き起こし、地域社会を疲弊させた。ところが、民主党の主張もまた、公共事業費の削減や、政府支出の抑制などのデフレ政策である。

(…)衰退する社会では、現状維持が最善である。それゆえ、現状以外の選択肢は、現状より悪いものしかない。しかし、それでも現状を変えようという選択をするならば、事態は悪化するしかない。だから、衰退する社会では、変革は、やればやるほど衰退を加速化させることになる。

(…)時代の空気に敏感な政治家たちは、現状を「守る」ことこそが最善であることに気づいていたらしい。つまり、我が国が衰退の運命にとらわれたのだということに。

 ならば、政権交代を啓示した「民の声」=「神の声」の御意志とは、「日本は衰退せよ」ということなのか。

[中野剛志「民の声は、神の声か 歴史的選挙の歴史的意味」『反官反民 中野剛志評論集』pp.250-2]

ISBN:9784864880015


pp.247-8

 金融危機以降、欧米は大規模な公共投資を行っているが、それらは単なる需要刺激策ではない。インフラ不足という新たな先進国病を克服するための戦略だ。(…)オバマ大統領は、「国家インフラ再投資銀行」の創設を提唱している。(…)インフラ不足という新たな先進国病を一挙に克服し、短期の需要創出と同時に、中長期の成長基盤を再建しようというのだ。EUもまた、輸送やエネルギー関連のインフラの高度化を計画している。

(…)インフラ更新の際には、資源制約に備えて、資材の省資源化を進める。将来の労働人口減少に備えて維持管理費を縮減すべく、資材の長寿命化も進める。省資源化や長寿命化には、日本の技術力が活きる。要するに、二十一世紀先進国型インフラ投資戦略を実行する上で、日本は、欧米より優位にある。足りないのは、時代の潮流を見据えた大局的な戦略眼だけなのだ。

[中野剛志「二十一世紀の先進国病」『反官反民 中野剛志評論集』pp.247-8]

ISBN:9784864880015