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読書ノート

2017-05-22

pp.78-9

大王の〝王〟とは「国土を統べ、臣民を治める元首」(『大漢和辞典』)であつて、それに〝大〟が冠されようとも、宗教的な要素はなんらふくまない。これに対して「天皇」号は、〝アメタリシヒコ〟と共通する、天上に由来する皇室の神聖性への情緒的感受をふまへたものといふことができる。

 もちろん、「大王」がたんに「王」の大なるもの、王に対する「大」王で、相対的なものであるのとちがつて、「天皇」はだんぜん超越的な称号だ(…)

 「大王」号が「天皇」号へとあらためられるにいたつた事情については、むろん対外関係についても配慮しなければならない。だが、それが王権じたいの内的な構造と密接にかかはるものであることを、忘れてはならない。しかも、この称号がこんにちまで定着してゐるのだから、なほさら内的要因に注意する必要があらう。

[高森明勅『天皇と民の大嘗祭』pp.78-9]

ISBN:4886560547


p.63

氏族とは、単なる血縁集団ではない。豪族が所有地と部民(べみん)を支配してゐるひとつの政治組織が氏族であつて(津田左右吉氏)、あくまで擬制的な同族集団である。

(…)多くの氏族は、大和王権の拡大・発展の過程において、さまざまな形でこれに参与し、それぞれ固有の職掌を分けもつことを通じて、氏としての実質をそなへるにいたつたのであらうと考へられている(大山誠一氏)

[高森明勅『天皇と民の大嘗祭』p.63]

ISBN:4886560547


p.61

 〝神器〟相承とタカミクラを設けての即位儀。前者については、群臣による献上(…)例へ両方が同日に行はれる場合でも、かならず〝神器〟献上が先に行はれる原則だつたらしい。これは、後に剣璽渡御の儀が成立してからも、かならず剣璽渡御が先にあつて、しかるのちに即位の式が行はれる例であつたのと、共通する。皇位継承における〝神器〟相承の大切さを示す事実である。

[高森明勅『天皇と民の大嘗祭』p.61]

ISBN:4886560547


pp.55-6

 皇位継承に際し群臣の会議が開かれ、(…)その群臣会議での合意にもとづき、「皇太子」とか大臣(おほおみ)大連(おほむらじ)といつた群臣の統一意志を体し得る人物が、群臣のあつまつてゐる場で、あたらしい天皇(大王)に〝神器〟を献上するといふのが、大化前代の皇位継承にあつて大切な手つづきだつた。

[高森明勅『天皇と民の大嘗祭』pp.55-6]

ISBN:4886560547

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2017-05-21

pp.38-40

大伴家持(おほとものやかもち)の「(うから)(さと)す歌」(…)

には、現今の自分らの存在基盤が、もつぱら神代以来の祖業((そぎょう))(祖の職)の継承にあることについてのはつきりとした自覚があらはれてゐる。(…)

弘仁五年(西暦八一四)に成立した『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』(…)

にみえてゐる氏族の構成・秩序についての考へ方の根本にあるものは、やはり祖業継承をもつて氏族存立の基盤とする思想

[高森明勅『天皇と民の大嘗祭』pp.38-40]

ISBN:4886560547


pp.36-7

古語拾遺(こごしゅうい)』の中に「天上(あめ)(のり)」といふ言葉がある。天孫ニニギノミコトが天上の高天(たかま)(はら)から地上に降りられる時に、皇祖天照大神(あまてらすおほみかみ)の神勅としていはれた言葉の一節だ。意味としては、高天の原で神々が行つてこられた手ぶり(ならはし・風儀)といふことである。

 わが国の古い思想では、この地上の生活や秩序は天上(高天の原)のそれの再現だと無造作に実感されてゐた。記紀に共通する、人間の時代の前に神々の〝時代〟をおき、しかも両者を連続したものとして描くといふ構想の根拠にあるものは、それだ。(…)

時代はくだつても、神祇祭祀(じんぎさいし)(神祭り)は久しく「天上の儀」の再現を主旨としてゐる。(…)

 皇祖天照大神が天上でニヒナヘを行はれてゐたことは、上古の人々があまねく実感してゐたところで、(…)

その「天上の儀」を天皇が地上で再現されるのが、王権のニヒナヘであつた。

[高森明勅『天皇と民の大嘗祭』pp.36-7(傍線=傍点)]

ISBN:4886560547


p.18

食糧採集経済(フード・ギャザリング・エコノミー)から食糧生産経済(フード・プロデューシング・エコノミー)への、ドラスチックな生活総体にかかはる転換の光景(…)この転換は人間の文化にとつて、空前にしてもつとも根源的な変化だつた。(…)

 わが先祖たちはそのふかい根源を、女神の死とそこからの五穀の化生といふ神話的時空での事件(イベント)として形象し畏怖した。

[高森明勅『天皇と民の大嘗祭』p.18]

ISBN:4886560547


pp.3-4

 大嘗祭は、遠い昔に滅び去つた(いにしへ)の祭儀ではない。「形」だけがからうじて存続し、その保存策を苦慮しなければならぬ文化財や文化遺産といつたものでもない。こんにちなほ健やかに息づく古態的(アルカイック)な祭儀である。(…)

 大嘗祭とは何か、(…)「民の大嘗祭」といふ視点をなかだちとすれば、それはこの国の民である自分を問ふことでもある。

[高森明勅『天皇と民の大嘗祭』pp.3-4]

ISBN:4886560547

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2017-05-15

p.199

近代日本が要請し、過去に投影した女性統治者像(…)ヒミコ像は、確固たるイメージとして定着し、現在も古代史の学説として重要な位置をしめ、女帝「巫女」説の源流でありつづけている。

[義江明子『つくられた卑弥呼─<女>の創出と国家』p.199]

ISBN:9784480062284

p.198

「倭女王」卑弥呼と神功「皇后」を同列に置いているところにも、「皇后」を〝君主〟と見なす『日本書紀』の編者の意識がうかがえる。

[義江明子『つくられた卑弥呼─<女>の創出と国家』p.198]

ISBN:9784480062284

pp.195-6

白鳥(庫吉)の論は、こうしたヒミコ像転換の背景がどこにあるかを語って、余すところがない。

(…)白鳥説がでるまでは、『魏志』倭人伝のヒミコを「生涯を神に捧げた巫女」とみる〝読み〟は、まだ成立していなかったのだ。白鳥説によって、ヒミコであろうはずがないとされた「軍国の政務を親ら裁断する俗界に於ける英略勇武の君主」像とは、まさに明治四十年代における明治天皇のイメージそのものではないか。

 また、

「男尊女卑は我が古俗なり」「夫婦の制が判然と確立」していることも、明治の皇室典範制定に際して、女帝否定論者によって繰り返し我が国の〝伝統〟として持ち出されたことであった。それ故に、現実に存在した過去の女帝たちは、政府による公的な解釈では「中継ぎ」であったとされ、古代史の学問上では、さらにそれに加えて彼女たちの本質は「巫女」だとする説が、しきりに唱えられるようになるのである。

(…)ヒミコと切り離された神功皇后のイメージにも、微妙で大きな変化があった。神功皇后伝説は、近世を通じて安産の守り神や疱瘡(ほうそう)除け等の民衆の信仰と結びつきながら、(…)国権拡張のシンボルとして紙幣の図柄ともなり、さまざまな神功皇后像が描かれた。しかし、その全盛期は、幕末・維新から明治二十年代半ばまでであって、日清・日露以後さ衰退するという*1。日清・日露以後といえば、内藤・白鳥説が出たのと同じ頃である。

[義江明子『つくられた卑弥呼─<女>の創出と国家』pp.195-6(括弧内引用者)]

ISBN:9784480062284

pp.188-90

描かれているのは、

① 神の言葉をきく力をもつ
② 武装して軍隊を率い、戦の先頭に立つ
③ 征服によって支配領域を広げ、国を富ます
④ 妻であり、母となった女性

である。『日本書紀』の編者は、こうした女性像を『魏志』倭人伝のヒミコと重ねあわせることに何のためらいも持たなかったのだ。

(…)①~④のうち、①②③は、(…)男女の王に共通する資格・行動である。(…)王朝との外交交渉も、(…)当然、王としてのヒミコが率先してなすべき事柄であった。(…)

 こうした女性像は、中世・近世にいたるまで基本的には変わらない。それが劇的に変わるのは、近代も一九一〇年代になってからのことである。

[義江明子『つくられた卑弥呼─<女>の創出と国家』pp.188-90]

ISBN:9784480062284

p.167

孝謙(即位前は阿倍内親王(あへのひめみこ)=称徳には和風諡号はなく、淳仁に譲位した時に百官が奉った中国風の尊号は「宝字称徳孝謙皇帝(ほうじしょうとくこうけんこうてい)」である。

[義江明子『つくられた卑弥呼─<女>の創出と国家』p.167]

ISBN:9784480062284

p.161

転換点に立っているとの自覚をもって過去の歴史を振り返った時代、それが推古の時代だった。

[義江明子『つくられた卑弥呼─<女>の創出と国家』p.161]

ISBN:9784480062284

*1(若桑みどり「明治近代国家形成期における「女性神格」の創造」)

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