不識一丁字(無)

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2004-09-23 ジュヴナイル

[][][][] 筒井康隆 『わたしのグランパ』

なかなか本読みの進捗が思わしくない亭主である。が、よくよく考えてみたら、亭主、いつのまにか、『わたしのグランパ』も読了していたのだった。これについては、また日を改めて、書こうと思う。(が、書けない/書かない、かもしれない。いまいち自信がない。すいません)。(2004-10-31深夜記)

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2004-09-22 学校と親にとって子供とは何か

[][][][] 筒井康隆 「夢の検閲官」『夜のコント・冬のコント』所収)

まずは書物を離れ、もう少し一般的な話を、書こうと思う。亭主によくある書きかたの、つまりは枕の部分である。ときどき見聞する(ないし記事として読むことのあるような)話。まだ小さなお子さんを持ったかたの、学校や幼稚園*との*奮闘体験に、ときとして、悲しい気持ちになることがあるのだ。

おたがい生身の人間であるから、親御と先生(教諭)との関係が、必ずしも良好にいくとは、限らない。円滑にいかない焦りと苦悩の状況で、親御さんの側がこぼされる言葉に、「子供を人質にとられているようなものだから」。亭主、いささか、やりきれない思いを感じてしまう。

筒井康隆の著となる『夜のコント・冬のコント』?という本のなかに、「夢の検閲官」?という作品がある。この作品は、一面において、心理学 −− それは筒井が専門に学んだ分野であったと(亭主は)思う −− における概念を駆使した、一種のドタバタ系ショートストーリである。

この側面から見ると、本作品は、かつての七瀬シリーズや「二元論の家」などといった、「心理学的*1描写系作品」に親しんだ読者には、「例によって」「著者お得意の」「ドタバタ喜劇世界」として楽しめることだろう。あるいは、平凡社世界百科事典程度でよい。ざっとフロイト的and/orユング的な心理学における、人間の「意識」に関する世界観を知っておけば、ドタバタ劇を楽しめるものと思う。

しかし、小説のストーリ自体はドタバタ劇であるかもしれないが、舞台設定ないし背景設定が、重いのであり、ないしは重要なのである。ストーリと背景と、二つのレイヤを描けるところが、亭主をして、この作品を著した筒井を高く評価せしめるものなのであった。

そして、その背景というのが、枕に書いたような、「親-子-学校」の構図に関連しているのである。亭主がこの文章において、ある意味「重い」と書きたかった理由。それは、本作品はそのような社会図を反映して書かれたものでもあると、亭主が受けとめたからなのかもしれない。

筒井には、しばしば「苦痛の光景」が描かれる。ほかの作品に見られるように、本作品にも、苦痛が描かれているとも言える。しかし、亭主は本作品の結末に、救いのない世界での一本の蜘蛛の糸のような、前向きの希望とは言えないかもれないけれども、しかし絶望ではない、微かな希望のような何かを見た。そして、茫茫と涙したのである。

ちょう個人的オススメ度:☆☆☆

(2004-10-31深夜記)

*1:おそらくはフロイトあたりが整理した概念に基くものではないか、と、亭主は思っている。

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2004-09-21 グロテスクさと、祝祭の気分と。

[][][][] 筒井康隆 「二度死んだ少年の記録」?

グロテスクなのに、なぜか祝祭の気分があるという点で、亭主は、本作品を、ガブリエル・ガルシア=マルケスの、『予告された殺人の記録』に呼応するものであるかな、と、感じた。

つまりは、ガルシア=マルケス作品によって筒井の中に喚起されたもの、−− 適切な表現が出てこないけれども、小説の「流儀」のようなもの −− を、筒井が、筒井の「小説作法の世界」にとりこんで、筒井流に料理して提示した、そのような世界なのではないか、と思ったのだった。

なお、本作品を読むならば、後述する予定の「夢の検閲官」*1も、あわせて読むといいのではないか、と、そんなふうなことを、亭主は思ったのでもあった。(2004-10-31深夜記)

*1『夜のコント・冬のコント』に収録された短篇である。

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