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2004-09-22 学校と親にとって子供とは何か

[][][][] 筒井康隆 「夢の検閲官」『夜のコント・冬のコント』所収)

まずは書物を離れ、もう少し一般的な話を、書こうと思う。亭主によくある書きかたの、つまりは枕の部分である。ときどき見聞する(ないし記事として読むことのあるような)話。まだ小さなお子さんを持ったかたの、学校や幼稚園*との*奮闘体験に、ときとして、悲しい気持ちになることがあるのだ。

おたがい生身の人間であるから、親御と先生(教諭)との関係が、必ずしも良好にいくとは、限らない。円滑にいかない焦りと苦悩の状況で、親御さんの側がこぼされる言葉に、「子供を人質にとられているようなものだから」。亭主、いささか、やりきれない思いを感じてしまう。

筒井康隆の著となる『夜のコント・冬のコント』?という本のなかに、「夢の検閲官」?という作品がある。この作品は、一面において、心理学 −− それは筒井が専門に学んだ分野であったと(亭主は)思う −− における概念を駆使した、一種のドタバタ系ショートストーリである。

この側面から見ると、本作品は、かつての七瀬シリーズや「二元論の家」などといった、「心理学的*1描写系作品」に親しんだ読者には、「例によって」「著者お得意の」「ドタバタ喜劇世界」として楽しめることだろう。あるいは、平凡社世界百科事典程度でよい。ざっとフロイト的and/orユング的な心理学における、人間の「意識」に関する世界観を知っておけば、ドタバタ劇を楽しめるものと思う。

しかし、小説のストーリ自体はドタバタ劇であるかもしれないが、舞台設定ないし背景設定が、重いのであり、ないしは重要なのである。ストーリと背景と、二つのレイヤを描けるところが、亭主をして、この作品を著した筒井を高く評価せしめるものなのであった。

そして、その背景というのが、枕に書いたような、「親-子-学校」の構図に関連しているのである。亭主がこの文章において、ある意味「重い」と書きたかった理由。それは、本作品はそのような社会図を反映して書かれたものでもあると、亭主が受けとめたからなのかもしれない。

筒井には、しばしば「苦痛の光景」が描かれる。ほかの作品に見られるように、本作品にも、苦痛が描かれているとも言える。しかし、亭主は本作品の結末に、救いのない世界での一本の蜘蛛の糸のような、前向きの希望とは言えないかもれないけれども、しかし絶望ではない、微かな希望のような何かを見た。そして、茫茫と涙したのである。

ちょう個人的オススメ度:☆☆☆

(2004-10-31深夜記)

*1:おそらくはフロイトあたりが整理した概念に基くものではないか、と、亭主は思っている。

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2004-09-21 グロテスクさと、祝祭の気分と。

[][][][] 筒井康隆 「二度死んだ少年の記録」?

グロテスクなのに、なぜか祝祭の気分があるという点で、亭主は、本作品を、ガブリエル・ガルシア=マルケスの、『予告された殺人の記録』に呼応するものであるかな、と、感じた。

つまりは、ガルシア=マルケス作品によって筒井の中に喚起されたもの、−− 適切な表現が出てこないけれども、小説の「流儀」のようなもの −− を、筒井が、筒井の「小説作法の世界」にとりこんで、筒井流に料理して提示した、そのような世界なのではないか、と思ったのだった。

なお、本作品を読むならば、後述する予定の「夢の検閲官」*1も、あわせて読むといいのではないか、と、そんなふうなことを、亭主は思ったのでもあった。(2004-10-31深夜記)

*1『夜のコント・冬のコント』に収録された短篇である。

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2004-09-20 いしぶら#2

[][][][] いしいしんじ 『ぶらんこ乗り』 つれづれ

亭主、ことし2004年の8月18日に2004-08-10にて、首記の書物を読了したと書いている。いまごろであるが、感想を少し。

読了したと書いてから二ヶ月が経って、まだ余韻が残っている気がする。なので、この本は亭主にとって何やら、ある種の「大事な本」になるかもしれないなぁなどと思う。折にふれて読み返してみたくなる本のひとつに、なりそうなのだ。

読了直後は、はたしてちゃんと読めたのか、自信がなく、感想も書けずにいたのに、いまだに気になるというのは −− ひょっとするとBOOKグループに感想を書かねばならぬという潜在意識的な何かが働いていたということなのかもしれぬが、いや、そうではない、と思いたい −− この本には、何かがあるからなのだろう。

ライト・ウェイトな文体。粗雑なのではなく丁寧に醸造されて濾過された結果としてのそれ。ひとつひとつの、空想力を刺激させられるエピソード。奇抜だったり楽しかったり、もの悲しかったり。そして、それらのエピソードを淀みなくつなげていく、小説の中の時間の流れ。流れかたに無理がなく話に淀みがない。

たぶん、これだけでは、ない。まだ何かがあるのだと思う。次に読み返したときの感想が楽しみである。

なお、亭主、この書物を読んだのちに文庫版の解説にて、著者近年の暮しようを知ったとき、三浦半島(神奈川県)の先っぽあたりを、のらのら、ぶらぶら、してみたいかもしれん、などと思ったのだった。海の匂いと、美味しそうな刺身。あー、単に空腹なだけなのか(笑)。(2004-10-28記)

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2004-09-19 新刊・旧刊

[] 何を読むか#2

日本における酒造りの中心地のひとつが、被災した。この先の困難を思う。宮尾登美子の『蔵』でも読むべきかな、などと思った。石塊ばかりの長い上り坂を、くじけず歩いていく力を思い出すために。それにしても、何もできず、はがゆい。(2004-10-25記)

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2004-09-18 新刊・旧刊

[] 何を読むか

この日記の一昨日付けのエントリで、本屋大賞の話題を、とりあげた。一般読者に投票権はないが、「この一年に発行された本で、あなたが面白いと感じた本は何?」という問いかけは、bookグループ的な話題としても、イケてるのではないかと、思ったのであった。

けれども、かんじんの亭主は、それ以降、沈黙してしまっていた。これには、実は単純な理由がある。亭主、ただでさえ寡読なうえ、このところ新刊を読んでいない。古い本を、いまごろになって読んだり、あるいは、むかし読んだ本を再読したり、している。

そんなわけで、ここ音無体亭の亭主は−−亭主じぶんでも驚いているふうであるが−−本屋大賞が対象としているような書物を、読んでいないのであった。では、この半年あまり、何を読んでいるかというと*1、例えば:

といった本たちであったりする。(順不同。○印をつけたものは本日までに読了しているもの)。ほんとうに、寡読で、なかなかに、なさけない。そして、このライン・アップをご覧いただけば、さきの話題について、亭主としては何も書けないことが、おわかりいただけるものと、思う。(2004-10-10記)

*1:いくつかを並行して読んだりしているのであるが

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