『20歳までに5000冊』企画

『20歳までに5000冊』企画 日誌

2006-07-06

まずは芥川賞候補作から3作品。

[]八月の路上に捨てる(7月6日読了01:28

んー。基本的に色恋沙汰の話ってあんまり好きじゃないんだよなぁ。

前回の「ボギー、愛しているか」よりはレベルが上な気がするんだけど、それにしたって、私には必要のない小説だなぁ、と思った。

[]大きな熊が来る前に、おやすみ。(7月6日読了01:28

たぶん、私が読んでも面白くない作家だと思って、何かを一冊読んだきり、触れもしなかった作家。案の定だった…。

あんまり必然性がない小説というか、なんでそうなるの?的な疑問が湧き上がってくる小説で、全くコミュニケーションが成り立たない。文章の一つ一つ、パーツは上手に出来上がってるだけど、場面と場面の間で飛躍があるような気がして。分かってるの、書いてる本人だけなんじゃないの?とか思っちゃった。

[]ナンバーワン・コンストラクション(7月6日読了01:28

『六〇〇〇度の愛』で、私はどんな感想を書いたんだろう、と思って見てみたら、何の感想にもなってないことが書いてあった。うわー、過去の自分使えなさすぎ。

やろうとしてること、試みそのものは面白い。ロボット三原則を、建築理論に、そして人間に当てはめていく。アイディアは面白いんだけど、文章が、なんだか読みにくいなぁ、と思った。最後に全部説明されちゃうのも微妙だけど、ラストが笑えるから、いいかな、と思った。


次に、直木賞候補作から一作。

[]遮断(7月4日読了01:28

遮断

遮断

直木賞、これだったら文句は一言も言わない。すごく良い作品。

沖縄で防衛隊から脱走した真市という名の青年が、戦友の妻で幼馴染みのチヨと、チヨの子供を探しに、部落の壕まで戻ることになる。その途中で負傷した少尉と出会って、少尉を担ぎながらの旅になるんだけど、っていう話。

この作品の中で描かれている戦争は、アメリカが相手じゃない。もちろん、「敵」はアメリカなんだけれども、じゃあ、彼らを苦しめているものはアメリカか、というと、そうではない。彼らを苦しめているのは、戦争が「日常」になってしまうことなんじゃないかな。

アメリカの勝利を予想した上で脱走した真市と、軍人として故郷に錦を飾ろうとしている少尉とでは、戦争に向かう姿勢は180度逆を向いている。だけど、彼らの根底にあるものは同じもの。それは、真市は百姓として、少尉軍人として、それぞれが自分の日常から離れまい、としていること。戦争という非日常の中で、どうにかして、自分の日常を手放すまい、としていること。それが、富士山は遠くから見ると美しいのに登ってみると汚らしくて、逆に、下界が美しく見えるのだ、っていうたとえの意味だと思う。

自分の日常を手放さないためにどうするか。感覚や、感情を遮断するしかない。目の前にある死体も、何もかも全てに対する感受性を失ってしまえば、戦争は「非日常」のままで、「日常」になることはない。死体を見て涙を流せば、感覚や感情が伴えば、それは現実になってしまうし、それが毎日続けば、「日常」になってしまう。非日常であるはずの戦争が「日常」になってしまうことは、百姓としての真市のアイデンティティを奪うことになってしまう。だから、感覚や、感情を遮断する。

ラストで、そういう傷跡は、真市だけでなく、沖縄全てに残っているのだろうなぁ、ということが感ぜられた。去年の夏に行ったサイパン島で見た戦跡を思い出しました。

[]宇宙嵐のかなた(7月4日読了01:28

普通SF小説…としか言えないくらい普通だった。それなりに面白い。けど、『スラン』の方が個人的には好きかも。

[]ロコ!思うままに(7月2日読了01:28

ロコ! 思うままに

ロコ! 思うままに

3年位前に読んだきり、大槻ケンヂ作品は読んでなかったんだけど、何気に面白いじゃあないか。

どの作品も、はっきりと、希望を見せるあたりが爽快だね。扱われているネタはどれも陳腐で、陳腐すぎるほどに陳腐で、でもそういう中から希望見出していく、というのが、なんとも分かりやすくていいと思う。