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2004-07-02-Friday

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安かった。

[]森本浩一『デイヴィドソン』(NHK出版) 森本浩一『デイヴィドソン』(NHK出版) - suneoHairWax::BOOK を含むブックマーク

言語は、それが少なくともふたりの人間の存在を要求する限りにおいて、社会的であることが示されたことになるだろう。(30頁)

『デイヴィドソン』

ぼくが社会学者だからなのか、狂信的ルーマン信奉者だからなのかわからないが、非常に抵抗を感じる一節だ。言語コミュニケーションメディアとしてしか言語であることはできない(他の在り方で言語言語であることはできない)。したがって「ある意味で」社会的だ。しかしコミュニケーションに人間の存在が要求されるという断言は前提に満ちている。「人間」なる意味(思想)は、心的現象においてゲシュタルト化される(あるいはゲシュタルト化という心的現象における)沈殿物にすぎない。少なくともコミュニケーションにとって=社会にとって人間は必要不可欠などではないし、したがって言語にとって人間は必要不可欠などではない。音声やエクリチュール(同じことだが)が言語コミュニケーションとして理解されるとき、それらを生成するのに必要なのは「肉の塊」のような物質的なものにすぎないし、<理解した>というカテゴリーが用いられるのは心的現象においてにすぎない。つまり「人間」の入り込む余地はない。

デイヴィドソンや彼が属する系譜において、そのあたりがどのように処理されているのか。今後の調査の課題である。

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