- AAA:最高評価
- AA:傑作(特に面白いものはAA+、今ひとつのものはAA-)
- A:佳作(特に面白いものはA+、今ひとつのものはA-)
- BBB:水準作(特に面白いものはBBB+、今ひとつのものはBBB-)
- BB:凡作(すぐれた箇所のあるものはBB+、劣ったものはBB-)
- B:駄作
- C:産業廃棄物 ダイアリ
- 作者: 野尻抱介
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2005/03/24
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- 著:野尻抱介
- SFオンライン
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- 発行:ソニーコミュユニケーションネットワーク
- 作者: 野尻抱介,草なぎ琢仁
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2010-02-02SF小説
■ [遭遇SF]太陽の簒奪者
お勧め度:AA+

「沈黙のフライバイ」「ふわふわの泉」とつながるファーストコンタクトテーマ。ファーストコンタクトといってもいろいろなんだけど、異質な知性との間でコミュニケーションは可能か、とかそもそも異質な知性って具体的にどうゆうんだ、というポイントがあって、異質な知性が単なる異文化にすぎなかったり、はたまたソラリスとかみたく異質すぎて最後までわかんなかったりとか、まあ直接は表現できない。間接表現だと、山田正紀「神狩り」で言語構造がスゴイ!とかあったなあ。で、野尻抱介の場合、「沈黙」は文字どおり沈黙だったのに比べると(沈黙とかいうと遠藤周作思い出すな。考えるとけっこう似てるかもしらん)「ふわふわ」と「簒奪」はもうちょっと愛想がある。コンタクトの相手は人類とは異質な知性体で、人類とのコミニュケーションも本来成立しないんだけど、アクシデントで成立するという仕掛け。相手が語りだすと、その分畏怖の効果は薄まってしまうかわり、思考実験的に異質さをいろいろと構築できる楽しみがある。異質性の表現としては、「ふわふわ」も「簒奪」も主体と他者の区別がない意識という設定で、おお、人類補完計画かとか思った。また、「簒奪」では異質さの表現の小道具として、もひとつ、AIも使われてる。この辺りは「BRAIN VALLEY」を思い出す。あっちの人工知能も盛り上がったけど、散々仕掛けに凝った挙げ句のクライマックスで失速しちゃってたからなあ。「簒奪」の方には、見せ場としては人類初の宇宙戦闘シーンがあります。一応現有技術にはない新兵器も出るとはいえ、基本は誘導核ミサイルですから。ウルトラマンなしで怪獣と戦っていたウルトラQみたいだ。全体に地球近傍を舞台にして現在利用可能な技術をもとにしたリアリティが力強い骨格になってる。現在から地続きの感じがするんだよね。2004年に高校2年生だった主人公の物語は、2002年現在中学3年生の人たちにとっての可能性の一つなんだよなあとか思ったりもする。最新作としてSFマガジン誌上に発表された「複素数の呼び声」もファーストコンタクトものだけど、こっちはちょっと趣が違って、アイデアストーリーですね。いろんなアイデアというかガジェットが詰め込まれてて楽しいんだけれど、ファーストコンタクトの方は、異質な知性というよりはオチのある落し話です。ネタバレしちゃうとつまんないんで、読んでみてと言う感じだなあ。
■ [遭遇SF]沈黙のフライバイ
お勧め度:AAA

27ページ、215kバイトのファーストコンタクト・テーマの短編。著者が小説の最後に付記しているが、本作は野田篤司氏の恒星間探査機に関わる私的研究から生まれたアイデアに基づいている。正直にいって、ここに書きこまれた設定の科学考証は私の手に余る。ただ、作品の中で事実に基づく推論と、実証の手段がない想像とをより分ける手つきが、なにより科学的であるということは言えるだろう。観測結果から導き出される結論から想像を逞しくすることに禁欲的に振る舞い、ドラマティックな感動を盛り上げるのではなく、人間の灯した科学という小さな光を描くことで廻りに広がる闇の深さを示すかのような詩情あふれる余韻を残している。
■ [博物SF]「ピニェルの振り子」銀河博物誌1
お勧め度:AA+

19世紀の博物学者が超光速ロケットで探検する、その設定だけでもう勝ちは決まったようなもの。恒星間ロケットはあってもカメラはない、軌道計算は計算尺、という世界です。作品はSFの1つのアイデアを大本に据えて、しっかりした構成で読ませます。筋を追っかけていくだけで、不思議な世界の見所を一通り堪能できる仕掛けになってます。
ヒロインは綾波レイとミスタースポックの娘といったところ。価値判断の基準が非常に明確で迷いがない。無愛想だし、人前で着替えをする。せっかくなら挿し絵は山田章博がよかったなあ。
「アホガキとウケネライのアヤナミ」という批判が多い、という話を聞いたのでちょっと加筆。
アホガキ、というのはきっと前半、主人公のスタンが船に乗り込むまでの猪突猛進を指しているんだろう。だが、そのアホガキの向こう見ずを救うために物語が半歩でも譲歩しているか?無用な障害を作って展開を遅らせているか?全くない。つまり物語の必然性に則ってるってこと。これが大事。ヒロインのモニカから綾波を連想するのは、まあ今だったらしょうがないけど、でも同じじゃないでしょ。内ハネじゃないし(笑)究極の観察者としての画工を少女キャラにして、対照的な行動派の少年と組ませる、というとこがこのシリーズのミソなんだから。そもそも最も互いの魅力を引き出すように正反対の性格のキャラを組ませるってのはキャラ立ての基本というか、それこそ「ベストセラーの書き方」なんかにも必ず載ってそうなセオリーだけど、それが奏功してるからこそ、こんなに面白い小説になってるわけじゃん。沈着冷静なばかりのモニカに体当たりでぶつかって活力を与えるスタンという構図は、ピニュルの振り子そのものとも重なって互いに呼応して物語の大きな構造を支え合ってるわけで、この小説の骨格そのものでしょう。細かい伏線の処理から、キャラの配置に合わせた物語の構造まで、こんな見事に仕上がってる小説なんて、そうそうないよ。そこまでわかった上で、「アホガキとアヤナミのカラミ」の小説って言ってんならともかく、そうじゃない気がしたもんで。
キャラの配置で言うと、博物商を金もうけの好きな俗っぽい人物にするとまた違った話になるけれど、それじゃ野尻抱介の小説じゃなくなるだろうなあ。スポンサーでもある蒐集家も超俗的な変人が金と身分で趣味を通してる感じだし(こう書くとなんかヤな奴っぽいけどそんなことないです)世俗的な俗事の処理を誰が担当するんだろうかなあ、と次作以降の展開をちょっと気にしてます。謎を解き明かし、一つの解答を出したとしても、それを現実に実行するためには世俗的な手続きが必要になって、そこまで書かないと小説として終わんないから。もちろん本作のパターンは充分アリなんだけれど、できれば毎回違うワザが見たいなあ、と期待してます。