「消えている部分」を見たいときはマウスで選択、反転して読んでください。
カテゴリ一覧: [Reader日記]/ [今月の三冊]/ [注目新刊]/ [bk1はてな]/ [その他本に関する話題]/ [bookG]/ [はてな全般]
[過去の記事一覧] id:Hebi:about/ 24d/ a/ b/ d/ f/ i/ グループ:BookSynapse/MultiSynapse
2005-02-02内田樹『先生はえらい』

■ [分類][370][159]『先生はえらい』 
ちくまプリマー新書*1創刊ということで、タイトルだけはもうだいぶ前から知ってて、まだかまだかと待っていた一冊。
「先生はえらい」のです。/たとえ何ひとつ教えてくれなくても。/「えらい」と思いさえすれば学びの道はひらかれる。/だれもが幸福になれる、常識やぶりの教育論。
カバーより
内容的にはいままでの著書のダイジェスト&ジュニア版(一部をピックアップしてクローズアップして詳説)みたいな感じ。語り口は丁寧すぎるほど丁寧、でも中学生にはちょっと難しいんじゃないかという単語*2も織り交ぜつつ、冒頭で示されたたったひとつの問いのまわりをぐるぐると遠回りしながら、最後の一章で一気呵成に核心に迫るその構造が小気味いい。ラストにはおきまりのずるい予防線と、仕掛けでもって終わる。ちょっとかっこつけすぎですよ先生。
読む前はなんで生徒である中高生を相手に「先生はえらい」なんて本を書くのかと思ってたんだけど、ようは「学び」のなんたるかを学ぶ者に懇々と説いている本なのだった。正直にタイトルをつけたら「学びとは何か、いかに学ぶべきか」なんだけど、それじゃあ読んでもらえないだろうし*3。問題はこの本を読み通せるだけの地力を持った子どもがどれだけいるかって話ですが、子どもが読んでくれなくても大人が読んで学べばいいんだと思います。
首大に「学び」はあるのか
しかしこれを読んだことで、なんで最近内田先生があんなに大々的にクビ大*4のネガティヴキャンペーン*5をやってるのか納得できました。あの大学は、この本で言うところの「学び」ではなくあくまで「商取引」を提供する機関にしかなれそうにないからなんですね。(多分)
というわけで、世の中はもはや「学び」を必要とせず「商取引」がすべてになりつつあるのではないのか、という哀しい予感におびえつつ、あえてこれからも内田樹を「誤解」し続けていこうと決意するものであります…。
装丁
クラフト・エヴィング商會の装丁はちょっとレトロで大人が手にとっても違和感のない感じ。そういう意味では「よりみちパン!セ」よりちくまプリマー新書の方が比較的高学年ねらいなのかも。
2005-01-12『野ブタ。をプロデュース』

■ [分類][913.6]『野ブタ。をプロデュース』 
白岩玄 ISBN:4309016839
けなす気満々で読んだら、思ったほど悪くなかった。サクセスストーリーとして良くできてる。この辺は金城一紀の『レボリューションNo3』とか『フライ・ダディ・フライ』の快感に近い。ただ、野ブタまわりの話は巧くできてるのに、主人公の言動が少々作り物じみているのは惜しい。古典的な「これは本当の自分じゃない」感と、すっかり世間に浸透した"プロデュース"を通して「本当の姿なんてどうでもなる」を対比させたアイデアは買うけど、「文学担当」の主人公パートが「カタルシス担当」の野ブタパートの作り込みに負けちゃってる感じ。作品のバランスを見るに、この人の資質はエンタメ寄りだと思うので、芥川賞は勘弁して欲しい。
まあ、デビュー作としてよくできた話だと思う。『蹴りたい背中』ほどは前衛でなく、『金八先生』よりは本音が混じる教室という戦場の話。
関連
『風葬の教室』『放課後の音符』『問題のない私たち』『エミリー』『彼氏彼女の事情』序盤