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2012-01-25

[][]夏目漱石『彼岸過迄』を読む はてなブックマーク - 夏目漱石『彼岸過迄』を読む - BookSynapse

実用書はあまりReaderに向かないことが分かったので、じゃあじっくり長篇を読もう、と青空文庫夏目漱石の作品をあさる。初期作品はだいたい読んでいるので、暗くて長くてつまらなくて学生時代に挫折した『彼岸過迄』を選ぶ。

彼岸過迄

夏目漱石(著)

青空文庫

2011/01/21 Reader Store発売

http://ebookstore.sony.jp/item/BT000011228200100101/

肝心な「恐れる男」と「恐れない女」のところにさしかかるまでに、就職浪人の敬太郎くんの愚にもつかない就職活動話が延々と続くので、多分これに飽きて読み進められなかったんだなぁ。この敬太郎くんが『三四郎』みたいに運命の女に会って苦悩するのかと思ったら、ただの狂言回しなのだった。

で、須永という本来の主人公が絵に描いたような文化系草食男子で、いかにも漱石の小説の主人公らしいんだけど、その自意識過剰と被害妄想っぷりが読んでいて笑えてくる。こういう人間像を当時漱石は「開化の影響を受け」て「神経衰弱」になった結果として描き出そうとしたんだろう。

それが戦後の豊かさの中で一億総自意識過剰時代を通り越し、それは自明のこととしてあえて「上滑りになる」ことがちょっと前までの日本の常態だった(不況と震災後の今はもうちょっと違う感じ)と思うと、そりゃあ漱石がお札にもなるよね。

須永のそういう屈託を乗り越えてか、見ないふりしてか、かまわず結婚し、子どもができれば松本みたいになるわけで、漱石が若かりし頃の自分にあてて書いたと考えてみると、いやに切実なわりに説教臭いのもしょうがない。で、自分が松本寄りの立場(いやもっと実際家の田口かも)になった今になって読むと、どうしても「自分にとって過ぎ去った問題を扱った小説」に感じてしまうのだった。


あと、子育て中の身としては、「雨の降る日」で2歳の女の子、宵子の突然死が描かれるのが辛かった。ここだけ話の中で浮いているのは、漱石が実際に子どもを亡くした体験を書いているかららしい。が、末尾の宵子の父である松本と須永(と千代子)の言葉がけっこうひどい。

 やがて家内中同じ室(へや)で昼飯の膳(ぜん)に向った。「こうして見ると、まだ子供がたくさんいるようだが、これで一人もう欠けたんだね」と須永が云い出した。

「生きてる内はそれほどにも思わないが、逝(ゆ)かれて見ると一番惜しいようだね。ここにいる連中のうちで誰か代りになればいいと思うくらいだ」と松本が云った。

「非道(ひど)いわね」と重子が咲子に耳語(ささや)いた。

「叔母さんまた奮発して、宵子さんと瓜二(うりふた)つのような子を拵(こしら)えてちょうだい。可愛(かわい)がって上げるから」*1

「宵子と同じ子じゃいけないでしょう、宵子でなくっちゃ。御茶碗や帽子と違って代りができたって、亡(な)くしたのを忘れる訳にゃ行かないんだから」

「己(おれ)は雨の降る日に紹介状を持って会いに来る男が厭(いや)になった」

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/765_14961.html

もちろん、宵子の母である御仙のせりふ「代りができたって、亡くしたのを忘れる訳にゃ行かないんだから」が一番言いたいことなんだろうとは思うものの、子を亡くした悲しみをこういう形でしか書けない屈折を思う。

*1:これは千代子のせりふ

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